2017年8月25日発売のローリング・ストーン誌の記事「ドキュメンタリーCan I Be Me」から私達が学んだ8つのこと」日本語訳。ホイットニーの華やかな成功の裏にあった苦悩、薬物中毒との壮絶な闘い、そして知られざる素顔が様々な角度から検証されている良質のドキュメンタリー「ホイットニー: 私でいさせて」。当記事ではそのハイライトを紹介。
月: 2020年5月
さよならホイットニー「スパークル」最後の映画出演作サウンドトラック
2012年に劇場公開された映画「スパークル」のサウンドトラック。2001年当初、歌手アリーヤ主演で準備が進んでいたが、彼女が飛行機事故で急死したことで企画は頓挫。その後ソニーの後援が実現した。このサウンドトラックと、ホイットニーの最後のシングルとなったジョーダン・スパークスとのデュエット「Celebrate」について。
「アイ・ルック・トゥ・ユー」チャート初登場1位の復帰作とその背景
前作L.A リードの監督下で製作された「Just Whitney」から7年、 育ての親であるクライヴ・デイヴィスと再びタッグを組んだ本作、 「今世紀最大の復活」と謳われ、現在のホイットニーの声の状態と、 次にどんな音楽を届けるか、に世界中の注目が集まっていた。
苦悩の中録音されたホイットニー初のクリスマス・アルバム「ワン・ウィッシュ」
2003年11月18日、ホイットニーのキャリア初のクリスマス・アルバム「ワン・ウィッシュ」がリリースされる。 「Just Whitney」の失敗。キャリアの衰退。結婚生活の問題。さらに悪化するドラッグへの依存。彼女の人生が最も複雑で、苦しみに満ちていた頃にレコーディングされたこのアルバムについて。
「ジャスト・ホイットニー」クライブ・デイビスの関与なしで作られた唯一のアルバム
前作から4年振り、2002年11月に発売されたホイットニーの5枚目のスタジオアルバム「Just Whitney」。「パーソナルなホイットニー」がテーマの本作、 発売初週に20万枚を売り上げ、ビルボードチャートでは最高9位を記録。 父親ジョンによる訴訟、結婚生活の波乱、激痩せなどファンの心配が尽きない中のリリースだった。
「マイ・ラブ・イズ・ユア・ラブ」ホイットニーの新生面を切り拓いた名盤
1998年にリリースされたホイットニー・ヒューストンの8年振りのオリジナルアルバム「マイ・ラブ・イズ・ユア・ラブ」。彼女の新生面を切り拓いた名盤。ベイビーフェイスやデイビッド・フォスターに加え、ロドニー・ジャーキンス、ワイクリフ・ジーン、ミッシー・エリオット、ローリン・ヒルなどの大胆な起用がアルバムにストリートのシャープなエッジもたらしている。世界中で1000万枚を売り上げる大ヒットとなったが、彼女の結婚生活やドラッグの問題が深刻化する中、制作されたアルバムであった。
「ため息つかせて」ホイットニー主演映画第2弾 サウンドトラック
20世紀フォックス映画提供のホイットニー・ヒューストン主演映画第2弾、「ため息つかせて」のオリジナル・サウンドトラック。アレサ・フランクリン、チャカ・カーン、メアリー・J・ブライジ、TLC等、超豪華なアーティストをを揃え、全世界で1200万枚の大ヒットとなったこのサウンドトラックと、この時期にホイットニーに起きていた出来事とは。
「ボディガード」音楽史上最も売れた驚異のサウンドトラックとその背景
1992年の11月10日に映画「ボディーガード」公開に発売された、ホイットニーの映画デビュー作のサントラ。先行シングルの「オールウェイズ・ラブ・ユー」のメガヒットに続き、このアルバムも4500万枚以上のセールスを記録する爆発的なヒットを記録。ビルボード史上最も売れたサウンドトラックとなったこの作品とその背景。
「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」R&Bに大胆に迫った快作
1990年11月6日にリリースされた、ホイットニー・ヒューストンのサード・アルバム「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト(I'm Your Baby Tonight)」。全2作と比べ、楽曲もファンキーでR&B的なテイストを前面に出した内容になっている。L.A.リード&ベイビーフェイス、おなじみのナラダ・マイケル・ウォルデン、マイケル・マッサー、ルーサー・ヴァンドロスらのプロデュースにより制作された。全米チャートで最高3位を記録し、全世界で1000万枚(2020年時点)のセールスを記録したこのアルバムについて。
ホイットニー・ヒューストン「アメリカ国歌斉唱」世界が感動した絶唱秘話 第15回米スーパーボウル
1991年1月27日、アメリカの国民的イベント、第15回スーパーボウル。場所はフロリダのタンパ・スタジアム。ホイットニー・ヒューストンは「星条旗よ永遠なれ (The Star Spangled Banner)」のパフォーマンスで歴史に名を刻んだ。湾岸戦争が開始して10日目、アメリカが愛国心に目覚め、一億人が目撃した歴史的なパフォーマンスの誕生秘話。USA Today記事訳。
ホイットニー・ヒューストン、マライア・キャリーとの世紀の共演「When You Believe」について語る
1998年11月2日、ホイットニー・ヒューストンとマライア・キャリーによる『世紀のデュエット』、「ホエン・ユー・ビリーブ(When You Believe)」がリリース。この曲を通じて友人になったホイットニーとマライア。このMTVのインタビューの中で、ホイットニーがマライアについて語っています。
「ホイットニーII~すてきなSomebody」チャート初登場一位・ポップの決定盤
1987年6月29日にリリースされたホイットニー・ヒューストンの2ndアルバム。女性アーティストとして初の全米アルバム・チャート初登場1位を記録した。ナラダ・マイケル・ウォルデンがメイン・プロデュースを手がけ、ダンス・ナンバーとバラードが絶妙のバランスで配置された、80年代を代表するこのアルバムのレビュー。
「ラン・トゥ・ユー」ホイットニーの絶唱バラード誕生秘話
世界中で大ヒットしたサウンドトラック、『ボディーガード』からの名バラード、「ラン・トゥ・ユー (Run To You)」。ソングライター二人の制作過程から、ホイットニーのボーカルがこの曲に息を吹き込むまでのプロセスが、この記事で詳細に綴られている。ソングライターを目指す方は必見の記事。
「シカゴの沢山の聖者達が祈ってくれたから」レア・インタビュー
2003年2月3日、ホイットニーと疎遠状態にあった父親、ジョン・ヒューストンが82歳で亡くなった。なんとその当日にシカゴのラジオ局によってオンエア(前もって録音された内容)された、ホイットニー・ヒューストンの超レア・インタビュー。
「そよ風の贈り物」前人未到のセールスを記録したデビューアルバムとその背景
1985年2月にリリースされたホイットニー・ヒューストンのデビュー作「そよ風の贈り物」。全世界で2200万枚を売り上げ、最も売れたデビュー作となった。輝かしいキャリアの始まりとなったこのアルバムと、その裏でホイットニーが置かれていた「奇妙な」環境について。
「天使の贈り物」念願のゴスペル回帰がかなったサウンドトラック
1996年11月26日にリリースされた、ホイットニー主演映画3作目となる「天使の贈り物」のサウンドトラック。ゴスペル・アルバムとして史上最大のセールスを記録。彼女の夢を実現させたこのサウンドトラックについて。そして問題が更に深刻化したと言われるこの時期のホイットニーについて。