「歌手ホイットニー・ヒューストンが誕生するまで」パート2:児童期
Text & translation: HRS Happyman
1: シシーがスイート・インスピレーションを脱退
時は進んで1969年。母親のシシーは将来について思い悩んでいた。自らが結成したコーラス・グループ、スイート・インスピレーションズも仕事に恵まれてはいたが、幼い子供達を家に残し、長期間のツアーに出かけるのは本当に辛かった。
またグループも肌の露出を増やすように周囲から提案されるなど、シシーはその考えを却下したものの居心地の悪いプレッシャーを感じていた。自分が一体どうするべきかわからなかった。
ある朝ツアーに出るための支度を整えたシシーは、スーツケースを持って家を出た。車へ向かって歩くシシーの後からマイケル、ホイットニーそしてゲイリーがついてきてメソメソ泣き始めた。特にマイケルは母親っ子で、心が絞られるほど泣くのだった。
泣いている子供達を見てシシーの中で何かが起きた。そしてジョンに宣言する。「私、スイート・インスピレーションズを脱退するわ」シシーは大きな決断をしたのだった。ツアーに出ることよりも子供達と時間を過ごすこと、そしてバックボーカリストと自らのソロキャリアに賭けてみることにしたのだ。ホイットニーは6歳だった。
2: ホイットニーに対する執拗な虐め
周囲から浮いていた小学校時代
ホイットニーがニュージャージーの公立校へ通うようになると同級生にいじめられるようになる。理由の多くは嫉妬によるものだった。ホイットニーは成績も良く、内気で礼儀正しくかったが、人の嫉妬を招く何かがあった。
ジーンズやTシャツ着たカジュアルな服装の同級生が多い中、母親シシーがプリーツスカートなど、他の子供達と明らかに違った服装で登校させたこともホイットニーの置かれた状況を更に難しくした。
シシーが買い与えた洒落たメガネは捻じ曲げられた。いとこのディーディーがくれた名前が刻まれたゴールドの指輪も盗まれた。ホイットニーは他の子供たちと似たような服を着させてくれと懇願し、それには自己防衛の意味があったのだが、シシーは全て黙殺し、自分の着せたいものを娘着せ学校に通わせた。
またある時ホイットニーは午前中に学校から戻り、シシーにこう伝えた。「先生が私は賢いから、今日はもう帰っていいって言ったの」シシーはおかしな理由だと思ったが、仕事に出る間際だったため、あまり注意を払わなかった。
だが翌日もホイットニーが早く帰宅して同じセリフを繰り返したため、シシーはホイットニーの肩を掴んで恐ろしい顔で問い詰めた。そして自分がいじめられていることを白状させたのである。
翌日シシーは学校へ怒鳴り込みに行った。シシーは獅子だった。校長に向かって「もし学校がこの問題に即刻対応しないなら私が自分でカタつけてやる」と息巻いた。校長をはじめ職員は勿論仰天。
シシーの怒鳴り込みはすぐに学校中の噂となり、笑われる羽目となったのはホイットニーだった。母親に殴り込みになんてきてほしくなかった。いじめが更に陰湿になるだけだった。母親に助けてもらいたかったが、話すと余計にややこしくなる。ホイットニーは次第にシシーに大事なことを打ち明けられなくなっていった。
そんな中、兄のマイケルは強い味方だった。女の子のグループに追いかけられ、逃げ帰ってくることがあった。ホイットニーは走るのが早かったので、なんとか逃げ切るが、不良ガールズ達は家の前で荒い息をつきながらホイットニーが出てくるのを待ち伏せている。
そんな時マイケルは玄関前に出て「妹に用があるなら俺を倒してからいけ。」と叫ばなければならなかった。ジョンとシシーがそう命じたからである。するとホイットニーを追ってきた女の子達は諦めて家路へ着くのだった。
だが状況は悪化していく。ある時シシーは家の前に数人の女の子達がホイットニーを待ち構えているのに気づいた。マイケルがいなかったので、シシーは自らポーチに立ち、娘を追いかけてきた女の子たちを眺めた。女の子の一人はぐいと眼差しをシシーにむけ「私達あんたの娘のケツをどやしつけるため来たんだ」とシシーに憎々しげに言った。
「あらお嬢さん」シシーは続けた。「ならこの私を先にどやしつけてみることね。おまえさんにできるかい?」そしてグッと恐ろしい目つきで睨みつけた。六人の少女たちは尻尾を巻いて退散した。
シシーは強い女性だ。自分の娘がなぜ追いかけられなければならないのか理解できなかった。ホイットニーには自身を守る術を身につけさせなければならない。母親はホイットニーを呼んでこう告げた。「もしお前が相手をぶちのめさないなら、私が代わりにお前をぶちのめすからね」
それはスパルタも仰天の宣告だった。前代未聞の荒療治である。ホイットニーは恐怖で目を見張った。シシーが『ぶちのめす』と言った時は言葉通りを意味したからである。
シシーとマイケルは気が短く喧嘩っ早かったが、ホイットニーともう一人の異父兄ゲイリーは内気で争いを好まなかった。シシーには自分に降りかかることにホイットニーが受け身の姿勢でい続けることが不服だった。
ある日ホイットニーは遂に勇気を出した。嫌味を言ったクラスメートに立ち向かい、見事に撃退する。実はホイットニーは兄のマイケルと常に取っ組み合いをしていたため、ケンカの素地はできていたのでである。
ホイットニーは争いを好まなかったが、この一件がホイットニーの自信に繋がったのも事実だった。こうしてホイットニーは自分を守る術を身に付けていき、嫌がらせをされる機会は次第に減っていった。
3: 兄のマイケルが共犯。
ワイルドなイタズラの数々
子供の頃、ホイットニーは2歳違いの兄マイケルの跡をついていき、二人はワイルドで危険なイタズラを沢山した。一つの例がこれである。当時10歳だったマイケルは父親ジョンの車のキーを盗み出して、ジョンやシシーがいない時こっそり近所に『ドライブ』に出かけていた。
10歳のガキが免許もなく街中を運転したのだ。(アメリカではよくある話でもある)ある日ホイットニーはそれに気づき、マイケルを脅迫する。「私にも運転させて。させてくれないならママにバラすからね」
マイケルは渋々、8歳のホイットニーを運転席に座らせた。だがホイットニーは背が低すぎて外が見えないという。仕方なく座布団を重ねて置いて、その上に座らせた。勿論マニュアル車である。首を亀の子ように伸ばし伸ばしホイットニーが運転する車がガタガタノロノロと車道を走る。いきなり止まったりする。
他の車が怪訝そうに通り過ぎていく中、10歳のマイケルは気が気ではなかった。近所をなんとか一周し、ホイットニーを下ろそうとすると妹はニヤニヤして言うのだった。「また明日もゼッタイ運転させてね。でないとママにバラすからね」
画像よりももっと危険なバージョン
またある時、マイケルが火事の後朽ち果てた4階建てのビルを見つけた時のことだ。マイケルはビルの前に古いマットレスを何枚か重ねて、屋上からその上にジャンプすることを考えた。マイケルがマットレスを引きずっているとそこに姿を現したのがホイットニーである。マイケルをこっそり尾行していたのだ。
そして私もジャンプさせろ、と言い始めた。マイケルが危険だからやめておけと言っても一切聞き入れない。
仕方なくマイケルはまず、見本のジャンプを見せることにした。だがマイケルはマットの着地に失敗し、自らのアゴを膝にしたたかに打ちつけてしまう。口の中を切ってダラダラと血を流す兄を見て、ホイットニーは恐怖で慄いた。だが最後にはなんとか勇気を出し、ヒラリと無傷で飛び降りたのだった。
二人は実に仲がよく、その会話はまるでコントのようで周りのものを笑わせた。マイケルは面倒がりながらもホイットニーの面倒をよく見た。父親のジョンはマイケルにこう命令する。
「いいか。あの街灯がついた頃にはニッピーは必ず家に戻っていなければダメだ」そしてホイットニーがその時間に戻っていない場合、叱られるのはマイケルだった。
夕暮れ時、仕方なくマイケルがホイットニーの友人の家の前で突っ立っている。するとホイットニーがイライラした顔を出して叫ぶ。「マイケル!あんたは真っ黒な犬よ!」ムスッとした顔で友人の家から出てきたホイットニーはマイケルを思いっきり突き飛ばす。
するとマイケルも負けじと突き飛ばし返す。ホイットニーは思いっきりマイケルにパンチを喰らわす。そして二人は大声でお互いを罵り合いながら家路に着くのだった。
マイケルを突き飛ばして帰宅した直後のホイットニー(嘘)
出典・参考記事:”Remembering Whitney: My Story of Love, Loss, and the Night Music Stopped” by Cissy Houston