「僕が出会った中で最も喉の筋肉の強い人物」ボーカル・コーチ、ゲイリー・コトナが語るホイットニーの声

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夫ボビー・ブラウンとの結婚生活が破城しつつあり、ドラッグの依存がさらに深刻化した2005年前後、ホイットニーがトレーニングを受けた人物がいる。スティービー・ワンダーの紹介だった。それがボーカル・コーチ、ゲイリー・コトナである。彼女の死後、ホイットニーの声の実態を知る人物としてスポットライトを浴びた彼。ホイットニーは2004年にはワールド・ミュージック・アワードに出演、アジアでミニ・ツアーを敢行し復活の一歩に向かったかに見えたが、2005年には過度のストレスにより再び声が出なくなる。

「自分自身を痛めつけるような生活を送ってきたのはわかってる。今はその習慣を変えたいの」とホイットニーはコトナに語った。またカムバックに関して、世間の期待は相当高いレベルにあることに怯え、疲れていた。「人々は私の声について高い期待がある。でもその期待を満たせると思えないし、それを満たすのに努力することなんてできない」

コトナはその声のコンディションに衝撃を受けたが、ダメージはあくまで表面的なものだった。一旦トレーニングをスタートするとホイットニーの声は急速に向上し始め、日々のレッスンでそれは明らかだった。コトナは辛抱強くトレーニングを重ねるホイットニーに感銘を受ける。

だが同時にホイットニーの生活も矛盾に満ちたものであった。「彼女は自分が神様から才能を授けられたこと、その才能を自分で台無しにしていると気づいていたんだ。ある時キーボードを抱えて彼女の家を出たら、忘れ物に気づいてね。引き返して家の中に戻ったら彼女がタバコを吸っていたんだ。ホイットニーは僕を見て「あら、ゲイリー」と言って、ハグをしながら僕の肩越しに持っていたタバコを捨てたのさ」

ホイットニーはラストアルバム「I Look To You」を発表した際のインタビューで将来のコンサートは「バーブラ・ストライサンドのように」限られた会場と日程で行いたい、と語っている。おそらくそれは声の保護の意図があっただろう。だが結局50コンサートに及ぶ大掛かりなツアーになったのは周囲が「このままだと家無しになる」とホイットニーを脅したからである。クライブ・デイビスもこのツアーに反対だったが、パット・ヒューストンはこのツアーは当時経済的にどうしても必要なものだったと弁護している。

このツアーを経てホイットニーの声は完全に変質する。周囲は父親の裏切り、ボビーとの別離のトラウマが癒やされていないホイットニーを脅し、否応なくツアーに押し出した。コトナはこのインタビューで「彼女の肩には沢山の人間の生活が掛かっていた」と言明している。実際コトナはゲイリーに「今はコンサートよりも声を強化させることが先なんだ」と何度も説明したという。だがホイットニーに収入がなければ彼らへの収入もない。ホイットニーは自分の財政事情を深く把握しておらず、周囲の影響を受けやすい状態にあった。そして周囲は最後のツアーをチャンスとみなしホイットニーを金銭化し、真の復活は実現しなかった。

様々なインタビューでホイットニーを「僕の出会った中で最も喉の筋肉の強い人物」「彼女ほど真面目で真剣な生徒はなかなか出会えない」と賞賛するコトナ。彼の知る限りホイットニーの声は順調に回復しつつあったという。現在廃刊されたVocalCouncil Magazine、2012年のレア・インタビュー「Whitney Houston’s Final Vocal Work」でホイットニーの声の状態について詳しく語っている。

May 6th, 2012 | by VoiceCouncil
Whitney Houston’s Final Vocal Work


Q: 初めてホイットニーと会った時の様子は。

アトランタまで仕事で彼女に会いに行ったんだ。それが初めて彼女と会った瞬間だよ。彼女は具合が良くないようだった。とても痩せていて、動揺しているようだった。酷い状態だった。彼女は自分の声に何が起きたのかわからなかったんだ。

彼女の声のダメージはどれくらい酷かったんですか?

声と呼べるものは残っていなかったよ。話し声もガラガラだった。かろうじて低音域の1、2音のみがでるだけで、レンジと呼べるものが残っていなかった。声の代わりに出てくるものは空気だけだった。でもホイットニーは僕が出会ったシンガーの中で、おそらく最も強い喉の筋肉の持ち主の一人だね。

彼女がピークの頃、彼女は舌を下げた状態で、笑顔の表情を作って「イ」の母音を出していただろう。そして口元でなく喉の奥の空間に響かせる。声を失った状態でも彼女の持つテクニックがきちんと残っていたんだ。

2004年にはワールド・ミュージック・アワードに出演、ニューアルバムも宣言
2005年BET Awardでのホイットニー。耳障りが良くない話し声。

こうしたダメージの最も大きな原因はなんですか?

僕らは皆原因に気づいているだろう。彼女は(ドラッグに)溺れてしまった。それに彼女はタバコを吸う。喉の組織はそうした痛めつけるような扱い方に長い間耐えることはできない。彼女は声と才能を少しずつ失っていったのさ。

あなたは彼女の声を取り戻し、ラスト・アルバムを完成させツアーも終了させることができました。なぜ彼女の声はふたたび劣化したのでしょうか?

彼女が歌い続けられるようできる限りの努力はしたよ。だが声を鍛えて力を取り戻すかわりに、ホイットニーに20%の力が戻ると、周りの人間は彼女を(コンサートに)送り出してしまう。これが問題なんだ。40%の声が戻ると彼女はまたどこかに送り出される。

僕達はなんとか60%の声を取り戻すことができたと思う。彼女は確実に良くなってきたけれど、もっとトレーニングを積んで100%完全に回復するべきだった、少しづつじゃなくてね。多くの人は気が付かなかったかもしれないけど、沢山の人間の生活が彼女の肩にはかかっていて、そのプレッシャーも相当大きかった。

声の完全な回復はあり得たのでしょうか?あなたに彼女の声を取り戻すことができたと思いますか。

それは疑う余地がない。レッスン中に時々以前の彼女が戻る瞬間があったんだ。彼女の喉の筋肉は非常にアグレッシブで特別な共鳴を作り出すことができた。彼女の喉は全力で歌う準備が整っていたんだ。

最後にホイットニーと話したのはいつですか?

彼女が最後のレコードを仕上げた後、連絡が途絶えたんだ。その後ビバリーヒルズでまたレッスンを始められたら、と電話があってね。それが約1年半前くらいのことかな、それが彼女からの最後の連絡だった。

彼女の死はあなたにどんな影響を与えましたか?

僕は他の人と少し違った見方をしているんだ。彼女は48歳で亡くなったし、それ自体は悲劇だよ。だけど彼女が何を達成したか考えてみてほしい。彼女は歌の歴史とその流れを永遠に変えたんだ。

かつて誰かがこう言ったことがある。「最高のレシピの中には、最も不味い材料が使われているものがある」。偉大な人についても同じことが言えるんじゃないかな。ひどい話に聞こえるかもしれないけど、苦労を経験していなかったら、彼女は同じ人間ではなかっただろうし、僕たちも同じように彼女を評価しなかったかもしれない。

記事参照:
https://www.tapatalk.com/groups/classicwhitney/2012-interview-with-gary-catona-about-whitney-s-vo-t14541.html

Whitney Houston Insider Reveals Singer’s Anguished Fight to Win Back Her Voice
ABC News

https://abcnews.go.com/Entertainment/houston-insider-reveals-whitneys-anguished-fight-win-back/story?id=15689692

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下のビデオはコトナとトレーニング開始後のホイットニーの声の変遷。この時期のホイットニーの声はコンディションがコンサートによってかなり違い、ファンはオンラインに新しい動画が上がる度に相当ヤキモキする羽目に。

2006年2月16日イタリア・トリノ五輪で行われた極寒アウトドア・コンサート。既にコトナによるボーカル・トレーニングが開始されているはずだがホイットニーの声はここにはない。
2006年にレコーディングされたヒューストン一家によるサントラ曲「Family Comes First」
2007年7月のAlways Sisters Conference 2007より。ホイットニーの出現に会場大騒ぎ。いきなりハモリに失敗、ピッチがガタガタな印象
2007年12月マレーシア・クアラルンプールでのホイットニー。前年より格段に向上。
2008年4月 Plymouth Jazz Fest 2008でのホイットニー。歌い慣れて無難なSAMLFYのはずが声が安定せず、本人も苦労風。新しいアレンジなのに残念。
2008年5月24日 所々声がひっくり返ったり割れたりするものの、かつての歌声の復活を感じさせる上質なコンサート。モロッコ Festival Mawazine 2008にて。
2008年カダフスタンのアスタナで行われたミニ・ライブ。バンドはノリが悪くチープ&ステージ巨大すぎ...IEWはエンディング突然終了。ステージに見合うデカい声を出せないホイットニーはパフォーマンス中アリのように彷徨う羽目に。残念ながら全体がカラオケ大会レベル
2009年2月、アリスタのプレ・グラミー賞パーティにて。1曲目IWALYのファルセットにファンは感涙
2009年9月モスクワでのコンサート。数ヶ所で往年の歌声を思わせる。

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