「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」R&Bに大胆に迫った快作

105月 - による HRS Happyman - 0 - アルバム
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I'm your baby tonight
whitneyhouston.com

I’m Your Baby Tonight | Whitney Houston (1991)

1. I’m Your Baby Tonight – 2. My Name Is Not Susan – 3. All The Man That I Need – 4. Lover For Life – 5. Anymore – 6. Miracle – 7. I Belong To You – 8. Who Do You Love – 9. We Didn’t Know (with Stevie Wonder) – 10. After We Make Love – 11. I’m Knockin’ 12. Taking’ Chance 13. Higher Love (12及び13は日本盤のみ収録)

全世界の販売枚数:1000万枚
全米の販売枚数(RIAA):400万枚
米ビルボード200最高位:3位
米ビルボード200にチャート・インした週数:57


前作のポップ路線を脱却し、
大胆にR & Bに迫った会心作
全2作ほどの商業的成功には
至らなかった


1990年11月6日にリリースされた、ホイットニー・ヒューストンのサード・アルバム「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト(I’m Your Baby Tonight)」。L.A.リード&ベイビーフェイスをメイン・プロデューサーに据え、前二作より楽曲もサウンドもシャープになり、R&B的なテイストを前面に出した意欲作である。

ナラダ・マイケル・ウォルデン、マイケル・マッサー、ルーサー・ヴァンドロスもプロデュースに参加、「愛の思い出(We Didn’t Know)」では彼女の崇拝するスティーヴィー・ワンダーとの夢の共演が実現している。

彼女の音楽ディレクターであるリッキー・マイナーと共同プロデュースした「アイム・ノッキング(I’m Knocking)」を始め、今作ではホイットニー自身もクリエイティヴな面で多く関わっている。

日本盤にはサンヨーCMで使用された「テイキン・ア・チャンス」(ホイットニーが一部ソング・ライティングも手掛けている)、2019年の夏にカイゴがリミックスして大ヒットした、スティーブ・ウィンウッドのカバー「ハイヤー・ラブ(Higher Love)」の2曲が特別収録されている。先行シングルの「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」と「この愛にかけて」はいずれも全米チャート1位を獲得。

アルバムは全米チャートで最高3位し、世界で1000万枚(2020年時点)のセールスを記録。シングル「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」は第33回グラミー賞の最優秀女性ベスト・ポップ・ボーカル賞にノミネートされるが、受賞は逃した。


ダイナミック、繊細、かつ官能的
このアルバムのホイットニーの声は
まさに絶品


このアルバムのホイットニーの声は弾けるようなパワーで押した前作と比べると、控えめな印象を与えるが、「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」で聴かせるしなやかでシャープな躍動感、また「この愛にかけて」などで見せる彼女の繊細な声の質感と表現力の豊かさには唸らされる。

ダイナミック、繊細、かつ官能的なこのアルバムのホイットニーの声はまさに絶品で、声のピークと考えるファンも多い。

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急激なイメージ・チェンジに至った背景



このアルバムが生まれた背景を振り返ってみよう。

2作目のアルバム「Whitney」のリリース後、全米チャートで7曲連続のナンバーワン・ヒットを記録し、メインストリームでの人気がピークに達した頃、ホイットニーは1989年のソウル・トレイン・ミュージックの式典でブーイングを受ける。

「ホイットニーは(白人マーケットへ身を売ったことで)ブラック・コミュニティーを裏切ったと見なされていたんだ。」ドキュメンタリー「Can I Be Me」の中でアリスタの元幹部であり、R & Bプロモーションを担当していたダグ・ダニエルズは語っている。その時の経験についてホイットニーは1996年に、NBCネットワーク番組でこう語っている。

「決していい気分ではないわ。
『彼ら、私に向かってブーイングしているの?』
行儀よく、問題がないかのように振る舞いながら、
私はその場に座っていなければならなかった。
つまり、私の音楽には彼らを満足させるだけの「黒人らしさ」がない、
ポップ寄りすぎるってことなの。
白人のオーディエンスが彼女を奪い去ってしまった、ってね」

また、ホイットニーと長年ツアーを共にしたサクソフォン奏者のカーク・ホエイラムはドキュメンタリー「Can I Be Me」の中でこう発言している。

「ホイットニーは自分の音楽をブラック・ミュージックに立ち返らせるようレコード会社に要求した。その結果生まれたアルバム、「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」はクライブ・デイビスが求めた方向性ではなかった。

でもホイットニーはクライブやレーベルのエクゼクティブに言い放ったんだ、「私はもうあなた達が作りたい音楽を作る気はないわ。私は自分で自分のすることを決めるわ」


一部のファンは
急激なイメージチェンジに動揺
批評家の評価は二つに分かれる



そんな事情を配慮して作成されたこのアルバム、全米ビルボードのポップ・チャートで1位を獲得する事が出来ず、前2作ほど商業的成功を収めることができなかった。だが前作を「商業的すぎる(売れ線狙い)」と厳しく評価したニューヨークタイムズ紙やローリング・ストーンズ等の一流誌が、この作品に対して高い評価を与えている。

1991年1月10日付のローリング・ストーン誌 (James Hunter)にて「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」はこう評されている。

「三作目にして、これまで最高の作品で、
最も統一感のあるアルバムだ。
7人のプロデューサーもエンジニアも
全員がホイットニーの歌に遠慮してしまっている。
「マイ・ネーム・イズ・ノット・スーザン」
「エニモア」などの曲で、
LAリード& ベイビーフェイスはヒューストンを
新しい、より自由なテリトリーに導いている。

そこでは彼女はドレスを捨て、
挑戦的なリズムを乗りこなしており、
彼女の声は自信に満ちている。

特にエモーショナルな熱唱が聞ける
スティービー・ワンダートのデュエット
「愛の思い出」はまさに記念すべき曲だ。
ホイットニーの今後の曲選びに影響を示すことだろう。

彼女が(これまでの売れ線路線を脱却して)
もっとリラックスして、
肩の力を抜いた作品を作っても
心配はなにも必要ない。

と彼女の新しいアプローチを称え、温かく迎えるコメントをしている。

また、そのアドバイスは正しかったことが、後にヒップ・ホップに大胆にアプローチした「マイ・ラブ・イズ・ユア・ラブ」の成功で証明されている。

だが一方、エンターテイメント誌(David Browne)は、

人はホイットニー・ヒューストンを馬鹿にするが、それはフェアじゃない」という小馬鹿にしたような書き出しで全く正反対の内容のレビューを書いている。

「タイトル曲にはかろうじてメロディーらしいものがあるが、
「エニモア」「愛の奇跡」にはそれすらない。
ルーサー・バンドロスの参加や、
スティービー・ワンダーとのデュエットも退屈で、
特筆すべきことがない。

そもそもこのアルバムに音楽的にも詩の面でも
中身があろうとなかろうと重要な問題?」

という過剰に無礼なコメントを投げつけ、D+という評価を与えている。


3D Factors


「ポップなホイットニー」からファンになった自分にとって、彼女のこのアプローチはエッジーでR&B過ぎ、初めてアルバムを聞いた時は一瞬戸惑ったのを覚えている。今では大好きなアルバムだ。

スティービー・ワンダーとのデュエット「We Didn’t Know」が特別に好きだ。スティービーならではの、ユニークなハーモニーとシンプルなアレンジ、二人の声が交互に交わる気持ち良さ。音楽のスリルを純粋に楽しんで歌っているのが伝わってくるトラックである。

このアルバムには収録されなかったが、シングル「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」のB面に収録されたナラダ・プロデュースの「Dancing On the Smooth Edge」と「この愛にかけて」のB面に収録された「Feel So Good」の2曲は必聴。浮遊感のあるボーカルと繊細な表現に只々陶酔。

ちなみにロビン・クロフォードはホイットニーの曲の中で「Dancing On the Smooth Edge」が一番好きなのだそう。

ミュージック・プロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンとロビン・クロフォードの著書によると、ホイットニーはこのアルバムの収録曲、「I Belong To You」や「Feel So Good」等のレコーディングの時期に、エディ・マーフィーに屈辱的な捨てられ方をして、ひどく落ち込んでいたらしい。

また1990年10月にレーベルのアリスタを通じてセッティングされた「Fame」誌によるインタビューが「ホイットニー•ヒューストンの隠された生活」というタイトルで発表される。ゴシップ・ライターとして知られるロジャー・フリードマンによる記事だ。その中ではホイットニーとロビン・クロフォードが語った将来のプランが、まるで恋人同士の間のことであるように書かれており、ホイットニーのレズビアン説が再浮上する結果となった。この事態にホイットニーもロビンも大ショックを受ける。

ホイットニーがこのインタビューを受けた理由はレーベルからアルバムのプロモートのために必要だから、という説明があったからだ。ホイットニーはロビンに後にこう漏らす。

「これがママが言ってたことなんだわ。人々が私のことを有名にするのは、引き摺り下ろすためだって。私はメディアにもう2度と、本当のことを話さないわ。」

そもそもホイットニーとロビンはパートナーだったのに、それを別れるように促したのはクライブ(クライブ自身もバイセクシャル)とレーベルではないか。そして今、レーベルが命じたインタビューでそれが掘り返される。ホイットニーにとっては全てが意味をなさなかった。ホイットニーが極度のインタビュー嫌いになった経緯にはこんな背景があった。

参考:”A Song For You: My Life with Whitney Houston”
by Robyn Crawford

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