ホイットニー・ヒューストン「アメリカ国歌斉唱」世界が感動した絶唱秘話 第15回米スーパーボウル

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1991年1月27日、フロリダのタンパ・スタジアで開催された第15回スーパーボウルで、ホイットニーは「星条旗よ永遠なれ (The Star Spangled Banner)」を絶唱。湾岸戦争が開始して10日目、一億人以上のアメリカ人がこの国民的イベント中継を目撃したと言われる。

ファンは毎年、スーパーボウルの時期になると、ホイットニーのパフォーマンスを思い出し、誇らしい気持ちになる。このパフォーマンスに勇気を貰った人は億人単位でいることだろう。ホイットニーの国歌斉唱は2003年に「ナショナル・フットボール・チーム(NFL)史上最も記憶に残っている音楽25」というカテゴリーで堂々の一位を獲得している。


2002年に放映されたダイアン・ソイヤーのプライム・タイム・スペシャル・インタビューのボーナス・エピソードで、「(自身のキャリアの)ピークはいつだったと思うか?」と言う質問に対し、ホイットニーは、「スーパーボールでの国歌斉唱」と答えている。彼女にとっても意義のある歴史的な出来事だった。

ここでは2001年にUSA TODAYに書かれた、ホイットニーの国歌斉唱について記事を紹介。

Blessings of liberty secured for Super Bowl XXV
By Jill Lieber, USA TODAY
Translation by HRS Happyman

Oh, say, did she sing

ホイットニー・ヒューストンは第15回スーパーボウルでアメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ (The Star Spangled Banner)」をどう歌うか即座に思い付いた。ジャズのコードとソウルフルなゴスペルのリズムを生かすのだ。

長年彼女の音楽監督を務めるリッキー・マイナーは、3拍子という本来のこの曲のフォーマットから一歩抜け出し、4拍子に変える事でホイットニーの肺活量を存分に生かせるのでは、との提案をした。

彼女がその歌唱で人々を驚愕させるとは、この過程で一体誰が知っていただろう?

「彼女の歌には感動して涙が出たよ」その当時ビルズのスペシャル・スターのメンバーだったスティーブ・タスカーは言う。目が(涙で)濡れていないやつなんて周りには誰もいなかったな」

「あの当時、この国は国民を一つにすることのできる何かを求めていた。彼女の国歌斉唱はその瞬間だったのさ。あれは本当にアメリカに衝撃を与えたよ。」とタスカーは付け加えた。

スーパーボールの2週間ほど前、ホイットニーはフロリダオーケストラによって演奏されたアレンジを初めて聞いた。その2日後、彼女はスーパーボールの日、アメリカの心を奪うことになる歌をレコーディングしたのだ。「彼女はまさに、あの曲とひとつになっていたよ。」とマイナーは言う。

だが全ての人間が同じ考えを持った訳ではない。幾人かのNFLの役員たちは彼女の歌い方が戦時(湾岸戦争)下のものにしては派手すぎるのでは、と不安に思ったのである。

「彼等は曲のハーモニーがオリジナルとは違い過ぎる、そのことがこの曲の神聖さを汚していると考えたのさ。」とマイナーは言う。

1980年代の前半からスーパーボールの試合前のショーのプロデューサーを
務めてきたボブ・ベストはこう言う。

「彼等はそのバージョンが観客が一緒に歌うには難し過ぎる、と言うんだ。僕はその意見に心底反対したんだけどね。」

試合の四日ほど前、NFLの役員たちはボブ・ベストにある命令をした。ホイットニーの父親ジョンに電話し、彼女が別のバージョンをレコーディングする意志がないかどうか尋ねてみろ、というのだ。そして答えはNOだった。

「受話器を耳からこんなに離さなきゃならなかったよ」
とベストは回想する。

しかし、ホイットニーが当日試合場に降り立ったとき、音楽監督であるマイナーの心は実は不安で一杯だった。「どうしよう、もしここにいる誰もがブーイングしたら?って考えてたよ」

2週間後そのシングルはビルボードのチャートで一位を獲得した*。

(*訳者注:1991年3月9日付のビルボードHOTチャートで、同曲は32位で初登場。リリース後、8日間で75万枚のセールスを記録し、アリスタの歴史上「最も早いスピードで売れた」シングルとなる。加えて、この曲は2001年世界同時テロ後に再リリースされ、9月22日付けの米ビルボードHOTチャートで50位で再登場。その後同年10月27日付のチャートでは最高6位をマークしている)

The general’s perspective

その頃ペルシア湾に指令官として赴いていたシュワルコフ将校は、アメリカの国民的イベント、第15回スーパーボールのことが気になっていた。だが、サウジ・アラビアには中継がなく、リアルタイムで見る事は出来なかった。

10日後、彼のもとに一本のヴィデオテープが届いた。そしてホイットニーの国歌斉唱を見た時、彼の目から涙がこぼれ落ちた。

「本当に、本当に深く、感動したんだ。」と彼は言った。

出典:
Blessings of liberty secured for Super Bowl XXV
By Jill Lieber, USA TODAY

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