ホイットニー・ヒューストン、全てをオプラ・ウィンフリーに語る 日本語訳 パート3(2008年9月15日放映分 )

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Oprah Whitney 2


アメリカで最も有名なトーク番組の司会者の一人、オプラ・ウィンフリー。全米ネットワークで25年間に渡って放映された『オプラ・ウィンフリー・ショー』では数々のセレブリティをインタビューしてきた超ベテランの彼女に「私のキャリアで最もパワフルなインタビュー」と言わしめたホイットニー・ヒューストンのインタビュー、パート3。2008年9月15日放送分。

ホイットニーがボビーに恋に落ちた理由、何が彼女に離婚を踏み切らせたのか、なぜ決断するまでに時間がかかったのか、深刻化したドラッグへの依存、更にに問題が悪化していった結婚生活について語った内容。

参考・出典
Whitney Tells All (Oprah.com)
Translation by HRS Happyman

1: ホイットニー・ヒューストンが蘇った瞬間



音楽のアイコン、ホイットニーヒューストンの前作「ジャスト・ホイットニー」のリリースから7年。今、彼女は音楽へ復帰を果たそうとしています。

ホイットニーはこれまで公にするこのなかった個人的な苦悩についてオプラと語りました。このインタビューでは、彼女がボビー・ブラウンの元を去った日のこと、友人マイケル・ジャクソンの死、そしてニューアルバムについて語っています。

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ホイットニー:自分が結婚生活について選択せざるをえないところまで、追い込む必要があったの。神様にこうお願いしたのを覚えているわ。『1日だけでいいから力を与えてください。私はこのドアを出て二度と振り返りません』その日は来て私は出て行った。「ちょっと砂糖と牛乳を買ってくるわ」と言ったのを覚えているわ。

オプラ:特別な日になることが、自分でわかっていたの?

ホイットニー:分かっていたわ。そして二度と戻らなかった。私はロス・アンジェルスに向かったの。まずは家具から移動し始め、次に家、車も他の全ても売りに出した。私は自分の持っているものを処分し始めたの。

オプラ:家を出る前に?それとも家を出てから?

ホイットニー:家を出た後よ。私は友人の家に泊まっていたの。私がある友人の周りにいる時、ボビーは決して近寄らない。彼女はこんな感じだった。『ボビー、もしあんたがここにきたら(銃で)撃つわよ。彼女のことを放っておいて頂戴。彼女は今、自分のための選択をしなくちゃいけないんだから』

オプラ:いつ頃の話?

ホイットニー:2006年頃かな。私は2本のパンツにスニーカー、そして2組の下着を小さなバッグに入れて、飛行機に乗ったの。友人の一人が私と飛行機に乗ってくれて。

オプラ:その決心はあなたが欲したもの?それとも人々の目を意識したもの?

ホイットニー:その時点では、(人の目は)気にもしていなかったわ。

オプラ:人々があなたに対して持っているイメージを、守ろうとも考えなかった?

ホイットニー:考えなかったわ。汚れた結婚生活を続けるつもりがなかった。結婚生活について違った考え方を持った誰かとは、もう一緒に暮らすつもりがなかったの。

信頼や誠実さ、神様を信じる心。こうしたことを大切にしない人と一緒に生きていくことはできないと思った。彼のしたことはその逆だった。私はその時点で、ドラッグも他のことも全て止めたかったけれど、彼は続けたかった。意地の悪さや、敵愾心が全てに満ちていて、とにかく私はそこから抜け出したかった。一生懸命祈ったわ。私のママは戦いを諦めない戦士のようだった。そのママが言ったの、『もう手放しなさい。もう行かせなさい』って。

オプラ:あなたのママはそれまで、あなたたちの関係についてどう言っていたの?シシーはこの関係がどれだけ波乱を含んだものか知っていたの?それともあなたは気づかれないようにしていた?

ホイットニー:ママを騙すのは不可能なのよ。『おまえがなんと言おうと気にしないよ。おまえの目を覗き込めば、おまえが幸せでないことがわかる。もしここから抜け出さなかったら、良くないことがおまえに起きる。私はおまえを諦めるつもりはないよ。』

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2: 問題の渦中、ボビ・クリスティーナはどこに?



オプラ:そんな狂気の中、ボビー・クリスティーナは一体どこにいたの?

ホイットニー:私は自分が家を出るより前に、彼女を家から出したの。私は彼女を兄のゲイリーと、私の義理の姉にあたるパットの所へ預けたの。全てが彼女にはトゥーマッチになってきたから。兄夫婦は私の家のすぐ近所に住んでいて。彼らは彼女が5年生と、6年生の時の面倒を見てくれた。私が自分自身の生活を立て直している間に。『私は一体どうしたらいいの?一体どこへ行ったらいいの?どうやって切り抜けたらいいの?』しばらくしてから、私は娘をカリフォルニアに連れて行って、そこに1年半住んだわ。

オプラ:じゃ、私たちが知らない間に、あなたとボビーは別居していたのね?

ホイットニー:ええ、私は家を出たけど、誰も知らなかったわね。

オプラ:ボビ・クリスを家から連れ出したとしても、それでも彼女は多くのものを見すぎてしまったと思う?聞く必要のないことを聞きすぎ、また経験しすぎたかしら?

ホイットニー:もう沢山だった。彼女は十分に見たわ。ボビーが私の顔に唾を吐いたのをみてしまった。それだけで十分。彼女は言ったの、『ママ、ダディはあなたの顔に唾を吐いたの?』私は彼女の目を見て答えた。

わたしは『そうね。でも大丈夫』と言ったの。娘は『大丈夫じゃないわ、ママ。それは絶対良くないわ。』と答えたわ。私はこう言ったの。

ねえ、あなたにお願いがあるの。ママのためにこうしてほしい。ママは神様を信じている。そしてボビ・クリスにはママを信じてほしい。今のあなたにはわからないかもしれない。でもお願いだからママを信じて。あなたを手放すようなことは絶対にしないから。

この命をかけてあなたのことをどこへも行かせはしない。信じて頂戴。二人でこれを切り抜けて、幸せにならなくちゃ。あなたが大きくなるにつれ、なぜこんなことが起きたか、ママがなぜ、今出ていかなければならないか、少しづつあなたに話すから。

でも私達がカリフォルニアに着いた時、娘はすごく怒っていたの。彼女にはまだ色々なことが理解できなかった。彼女は私に凄く逆らったの。でも私は愛情を持って、なんども娘の元へ戻ったわ。私は彼女をこの腕に抱え続け、私は彼女のドアをノックし続け、ひざまずいて祈り続け、彼女に愛していると伝え続けた。

一方、私はまだボビーのことを待っていた。彼のことをそれでも待っていたのよ。彼が外でしていた沢山の醜いことを片付けて戻ってくるのを待っていたの。でもボビーは私の家と娘の中に汚れたものを巻き込んでいた。私にはそれが耐えられなかった。これが愛の形だなんて、娘に思わせることはできなかった。

オプラ:カリフォルニアに引っ越した後も、まだあなたは一緒に夫婦として元通りになることを望んでいたの?

ホイットニー:ええ、私は待っていたわ。

オプラ:どんなきっかけで、結婚生活から抜け出すことを決意したの?カリフォルニアに行って...そしてあなたはまず、ボビーを待ったのね?

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3: ボビ・クリスティーナがアドバイスした離婚



ホイットニー:そう。友人のプライベート・ジェットでカリフォルニアに向かって、ラグーナにある小さな家を借りたの。そして(ドラッグの)カウンセラーを見つけたわ。

ボビーはカリフォルニアに来ると言いながら、数ヶ月経っても来なかった。唯一の心配は娘のことだった。彼女に真実を伝えたいけれど、彼女が父親をどう受け止めるかが心配だった。とても難しかったわ。当時彼女はまだ13歳で、子供から若い女性へと成長する時だったしね。私は彼女に少しづつ説明しようとしていたのだけど..ほらインターネットって何でも載せてしまうでしょう?

彼女は聞いたわ、『ママ、これはダディ?』私は『ええ、そうよ。』彼女は父親が誰かと.

オプラ:他の女性と...

ホイットニー:その通り。そういったクレージーなことよ、わかるでしょ。そうしたら娘は言ったの。『ママ、とんでもないわ。離婚した方がいいよ』。

オプラ:あなたの娘が言ったのね。

ホイットニー:『ダディと別れたほうがいいよ、ママ。私はママがどんな風か知っているわ。ママは私と一緒にいて、私のことを愛してくれている。私のことを学校にも連れて行ってくれるし、一緒にいろいろなことをしてくれる。

ママは私のことを失望させないし、嘘もつかない。私のためにここにいてくれる。ダディは会いに来ると言いながら全然私のところへ来ない。私にこれを買ってもっていくよ、あれを持っていくよと約束しておきながら、決してこない。ママがこんな目にあう理由はないよ。私にもないわ。』娘は私が想像したよりはるかに賢かったの。

オプラ:あなたの娘がそう言わなかったら、あなたは結婚生活に留まっていたのかしら?あなたはまだ、その点で葛藤していたの?それともその時がターニング・ポイントだったの?

ホイットニー:私のスピリットがそう(結婚生活に留まること)させなかったと思う。神様のスピリットは他のどんなスピリットよりも強いの。そして私の決心を助けてくれる。私の義理の姉も私のために祈ってくれてるし、兄達も私のためにそばにいてくれる。わかるでしょ、私の家族。私のそばに立って励ましてくれる人が何人もいるの。

そしてクライブ(・デイビス)が言ったの、『(君のキャリアが)終わったと思えないよ。神は君にこんなに偉大な贈り物を与えておいて、キャリアを終わらせるようなことはしないさ。そんな風に終わらせてはダメだ』クライブは続けて言ったわ。『それに、僕の中にも出来ることが残ってる』

私は『ワォ!』と思ったわ。クライブはこう言ったの。『君に1年間の時間をあげるから、自分で決断しなくちゃダメだ。だが、世界中の人々が(復活を)待っているんだ。みんな君が歌うのを聞きたがっているよ』

私が近くの店に買い物に行くと、人々が声を掛けてくれた。『新しいレコードはいつ出るの?あなたの声が恋しいわ。ねえ、もう一度歌って』私達は人々の温かさを感じたわ。多くの母親たちが『これこそ子供の頃から聞いて育った音楽よ!』って。

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オプラ:ボビー・クリスティーナはどうしているの?

ホイットニー:彼女は元気よ!彼女についてどう説明したらいいかしら。彼女は毎日、どんどん私に似てきているわ。

オプラ:確かにあなたの外見に似てきているわね。

ホイットニー:そうなの。小さい頃、あの子は父親に非常に似ていたんだけど。彼女の体つき、顔や皮膚まで。

オプラ:彼女のなかに自分を見出すことはある?

ホイットニー:ええ、いたるところに。彼女はいつも何かをクリエイティブに書いているわ。彼女は歌も歌うの。とても上手に歌うようになってきたわ。

オプラ:上手に?

ホイットニー:そう、歌っているわ。彼女に自分のペースで進んで欲しいと思ってるの。誰も彼女に触れてほしくない。彼女をしっかり育てたい。

オプラ:もし彼女がショー・ビジネスに入りたいと言ったら、それは大丈夫?

ホイットニー:ええ、でも私は彼女と一緒にいるわ。ママが私と一緒にいてくれたように。私がショービジネスに入ったばかりの頃、14歳の頃には人々は私とレコード契約を結びたがった。でもママが言ったの、『とんでもない。ホイットニーはまだまだ学ばなきゃならないことがたくさんあるんだから』って。

オプラ:母親であることは楽しんでいるの?

ホイットニー:大好きよ!母親であることも、彼女が女性として成長していくのを見るのもね。若い頃は男の子のこととか、いろいろなことで、傷つけられることがよくあるでしょ。私の元に相談に来るの。信頼してくれているのよ。私は彼女に本当のこと『ねえ、こういうことが起きてしまうかもしれないけど、私達はきっと切り抜けられるから、心配しなくて大丈夫。』そんなようなこと。そういうことを楽しんでいるわ。

娘は私を誇りに思ってくれている。私は彼女のことを誇りに思っているし。今朝、娘は私のベッドに入ってきてこう言ったの。

『ママ、私がママをどれだけ愛していて、誇りに思っているか、わかる?ママのレコードは今世界中でプレイされているんだよ!本当に誇らしく思ってるよ。やったね!

オプラ:あなたが愛しているのは?

ホイットニー:神様。心からね。とても謙虚に感じていて、感謝の気持ちで一杯。神様からの恵み、そしてその素晴らしさ。そして、私を決して見放さなかった。ママのこともを愛している。私の娘もね。私の親戚や、姉妹、そして兄弟達。あなたのことも(オプラ)。どこかで私のことを祈ってくれているのを知っているし。

オプラ:もちろん祈っていたわよぉ~!!(泣き真似)。

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4: 父親ジョンの死



ホイットニー:どんなにそれがひどいことでも、人生の一つの経験でしかないの。私は人生でそれまで辛い経験をしたことはなかったの。恵まれた子供時代を過ごしたし、良い母親がいたし、素晴らしい父親がいた。亡くなったけど、私は父のことをとても愛していたわ。父の死をきっかけにすべてがクレイジーになっていったのよ。夫はどんどん勝手な行動をとるようになっていった。私の父について「やっといなくなった」と考えたんだと思うわ。

オプラ:お父様がいなくなって。

ホイットニー:ええ。でも、私には母がいたわ。

オプラ:でも、あなたのお父様はあなたを訴えたじゃない。それも難しい経験だったでしょう?

ホイットニー:私の父は傍にいた人間の嘘に影響を受けていたのよ。父はあの時病気にかかって入院していた。入院費その他はすべて私が払ったわ。あの時期私が父の経済的な面倒を見ていたしね。

オプラ:では、お父様のことを許したのね?

ホイットニー:もちろん。

オプラ:最後に、あなたは彼を許したのね。

ホイットニー:もちろんよ。父のことを愛していたもの。父は体の具合が悪く、80歳を超えていた。常に心臓の問題と糖尿病で入院していて。人々は彼からお金を引き出そうと、盗もうとしていたの。父を脅迫したり。

オプラ:その頃はつらかったでしょうね。

ホイットニー:勿論よ。私達2年間口をきかなかった。でも、彼が病気になって、本当に具合が悪くなった時、私は病院に行って言ったの。『今、解決しましょう。あなたは私の父親なの。愛しているわ。私はここにいるからね。私があなたの面倒を見るから。』すべてが終わった時、私にすべてが委ねられていたわ。

オプラ:あなたはお父様の葬式に行かなかったと聞いたけど、最後にプライベートな時間を過ごせたの?

ホイットニー:葬式の前日に私のためだけのメモリアル(追悼式)をしたの。それは私自身のものだった。私の家族、ディオンヌ、いとこのディーディー、私の母、私の家族、参加者はそれだけ。報道陣やメデイアがあまりに多くて、彼らは私の後を付回していた。私はプライベートで悲しむことすらできなかった。

だから私は自分だけの式をしたの。父はニューアーク市で、影響力のある立場にいたために、
沢山知り合いがいた。だから彼らが行けるお葬式と、私たちだけのメモリアルの二つがあったの。


5: 友人マイケル・ジャクソンの死



オプラ:あなたの友人でもあるマイケル・ジャクソンが亡くなったことは、どう受け止めたの?

ホイットニー:私は言葉にならないくらい悲しかった。彼と一緒に過ごした素晴らしい思い出が沢山あるの。私は長年彼の家族を知っていて。『これが本当であるはずがない。そんなはずはないわ』と思った。彼が鎮痛剤を飲んでいるのは知っていたけれど、それがどれくらい深い問題だったのかまでは、私にはわからなかった。30周年記念周年記念スペシャルに参加した時に、マイケルを見ながら、彼の中に自分自身を見たのを覚えてるわ。

オプラ:あなたが骨が見えるくらい痩せていた時よね?あなたはとても弱っているように見えたわ。

ホイットニー:そうだったわ。自分自身も怖くなったの。

オプラ:マイケルのことを見て?

ホイットニー:ええ。それから自分自身のことをみて『こんな風になりたくない。そんなことは起きてはいけないわ。しかも私たち2人がそうなるなんて』 と思ったわ。

オプラ:あの時期はあなた自身もドラッグを使用していたのよね?だからあなたはあんなに痩せていたのよね?

ホイットニー:ええ、でも私には様々なことが起きていたのよ、感情的にもね。私は心配になったの。

オプラ:マイケルのことを?

ホイットニー:ええ。そして自分自身のこともね。結婚生活もうまく行っていなかった。色々なことが周りでは起きていた。マイケルと私はとても親しかったのよ。

オプラ:彼に最後に会ったのはいつ?

ホイットニー:彼の裁判中には彼と何度も話をしたのを覚えているわ。その頃までに、彼は身の回りから多くの人々を切り離していたの。彼は自分のことを見られたくなかったの。

オプラ:彼はあなたにも会わなくなったの?

ホイットニー:電話で話すことはあったけれど、多分彼は私に自分のことを見てもらいたくなかったんだと思うの。私が人生で出会った人々の中で、彼に匹敵するほど(素晴らしい)人は誰もいない。それがあんな風に此の世を去るなんて。それが何より私を悲しくさせたわ。

オプラ:麻薬中毒から自分が抜け出せないのでは、と思ったことはある?『こうなるのが定めだったんだわ、部屋の中でコカインを混ぜたマリファナを吸って、テレビを見て..』

ホイットニー:そうね。どうしたわけか、オプラ、私はそこまでは行かなかったのよ。私の中の何かが決してそれを許さなかった。

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オプラ:あなたが学んだことはなんだったのかしら?壁に描かれた巨大で邪悪な目やドラッグ、それらすべてのプロセスを通じてあなたが最も学んだことは一体何?

ホイットニー:彼が私のことを手放さなかったこと。彼は私に去って欲しくなかったの。

オプラ:あなたも自分一人で立ち去る力ががあるとは思わなかったのよね。だから神様にその力を一日だけください、とお願いした理由よね?

ホイットニー:『たった一日でいいから、私に力をくれたら、私はここから出て行くわ、たった一日だけ』私はもうこんな生活は続けられない。夫を他の女性と共用するつもりもないし、彼にそういったゴタゴタを家庭に持ち込んで欲しくない。娘に「これが愛の形だ」なんて、考えてもらいたくなかったの。

オプラ:『祈りなしでは、そこを立ち去れない』と何故思ったのかしら?あなたを引き止めていたものは一体何だったの?

ホイットニー:習慣ね。そして「いつかすべては大丈夫になる、すべては良くなる」という考え方も。


6: ドラッグ使用について



オプラ:あなたは今ドラッグは使用していないのね?

ホイットニー:イエス、マダム。だからと言って私が(ドラッグを)欲していない、というわけじゃないわ。その思いを払うのに、心を浄化するのに、少し時間がかかることもあるわ。お願い、一人にして。放っておいて頂戴、って感じでね。祈りを持って追い払わなければならないこともある。
お酒を飲むことは時々あるけれど。だからもし私をバーで見ても誤解しないでね。

オプラ:ドラッグの生活に戻ったとは言わないで..。

ホイットニー:そんな風に決めつけないで。

オプラ:あなたは飲酒には問題ないのよね。

ホイットニー:いいえ、アルコールは私にとって問題ではないわ。マリファナとコカインは違うけれど。

オプラ:麻薬に溺れるようなことが、これから先にあると思う?ドラッグの誘惑?

ホイットニー:オプラ、私には今日という日についてしかわからないわ!だから一日一日大事なの。今この瞬間について言えば、答えはNOよ。


7: ニューアルバム、I LOOK TO YOU について



オプラ:そうした全てを経験して何年も経って「I Look To You」がリリースされたのね。今朝はタイトル・トラックを聞きながら瞑想をしていたの。あの曲を最初にレコーディングしたとき、あなたはあの曲を誰に向けて歌っていたの?

ホイットニー:あの曲は10年前に私のためにR.ケリーが書いてくれたものなの。このアルバムのために提供された最初の曲で、あの曲で人々に知ってもらいたいことや、私がどんなことを尊敬しているか、そういったことを伝えられたらいいなと思ったの。どんな風に困難な時期を乗り越えたのか。

オプラ:じゃあ、自分よりも大きなことについて話しているのね。

ホイットニー:自分よりはるかに大きなことについて歌っているわ。勿論よ。あなたや私よりもはるかに大きな誰か(神様)について。

オプラ:あなたがこのアルバムを「I Look To You」と名付けたのは、それが理由なのね。それがこのアルバムのエッセンスなのね。

ホイットニー:そうよ。このアルバムのメッセージをこの曲が集約しているって、皆に認識してもらいたかったの。

オプラ:ええと、このアルバムで私が気に入っている曲、ダイアン・ウォーレンとデビッド・フォスターの「夢をとり戻すまで(Didn’t Know My Own Strength)」は、あなたの経験が生み出した曲なのかしら?

ホイットニー:ええ。 この曲を歌った時、私はガンと戦っている女性達、劣悪な家庭環境を経験している女性達、一人で子供を育てなければならない片親達について考えていたの。子供達だって過酷な環境を成長する過程で経験することがあるでしょ。私だけじゃない。人々が経験しうる様々な困難や状況に、思いを馳せた。『この曲はみんなのためのものだわ』って。

オプラ:アルバム2曲目のNothing But Loveを聞いた時、人々が持つあなたへのについて考えさせられたのだけど。あなたはそういった愛を感じていますか?

ホイットニー:ええ、でも一番大事なのは自分自身を愛せるか、ってこと。大切なことでしょ。だから私はいい気分よ。自分自身への愛をちゃんと持っているから。

オプラ:今、全てが整ってきている感じね!あなたにとってこの瞬間はカムバックだと思いますか?これはカムバック(復帰)ですか?またはカミングアウト(隠れたところから出てくる)またはカミングスルー(通過)?

ホイットニー:カミングスルー(通過)の瞬間ね。R.ケリーはが書いた曲に、こうあるわ。『カムバックと呼ばないで、わたしはずっとここにいたのよ。』

オプラ:今あなたは自分自身の強さを知っている?

ホイットニー:ヘルプがどこから来るのか、私は知っているの。本当に。私の中に強さがあることも知っている。嫌なことが起これば、落ち込むことだってあるけど、そんな時自分がどこを向けばいいか、私には分かっているわけ。私は神のスピリットを心から愛していて、それを何かと交換する気はないわ。それだけはできないわね。言葉にもできない喜びを運んできてくれるものだから。他の何とも比べることもできない平和な気持ちなの。

オプラ:神様なしで、ひとりでは到底成し遂げられなかったでしょうね。

ホイットニー:L.A.での数年間、私は一人で過ごすことが多かったの。こうして座って聖書を読んでいるうち、『神様は一体私に何を知らせたいんだろう?』って考えるのよ。精霊はそうした時に私に話しかけ、私を導くの。私一人じゃ自分がどうしたらいいか、どこに行くべきかもわからないし、
あれもこれも一体どうしたらいいかわからないわ。自分がスタジオに戻ってもう一度歌うことになったのも神様のおかげ。私は(神に導かれて)やり遂げることができたわ。


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