「歌手ホイットニー・ヒューストンが誕生するまで」パート5: 家庭の不和とロビン・クロフォードの登場

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Text & translation: HRS Happyman


1: 冴えない学校生活
ホイットニーの成績が落ち始める



ホイットニーのマウント・セイント・ドミニックアカデミーでの生活は相変わらず冴えないものだった。お泊まりに参加したら「なんでニガー(黒人を蔑視した呼び名)が俺の家にいるんだ?」とクラスメートの父親に言われ、夜中に母親に迎えに来てもらったこともある。

誕生会で歌ってくれと頼まれ、そのつもりで行ったら「黒人の歌手なんてとんでもない」と同級生の親に言われ、落胆したこともある。白人たちの間に置かれたホイットニーはこういった人種差別を経験していた。「それにあの学校ときたら、どこもかしこもドラッグだらけなんだから」

モデル業も隠していたが、誰かがホイットニーが表紙のセブンティーン誌を見つけてきて、教室に入った途端、「ミス・セブンティーン!ミス・セブンティーン!」とクラスメート囃し立てられた。仕舞いには修道女までホイットニーを「ミス・セブンティーン」と呼び始めた。だがクラスメートの殆どはホイットニーが歌えることを知らなかった。

既にホイットニーの元にはルーサー・バンドロスを含めた数件のプロデュースのオファーが届いており、ホイットニーは早くデビューしたかった。だがシシーは高校を先に卒業するよう命じる。当時ラジオに掛かっているどの新人シンガーよりホイットニーは歌がずっと上手で、本人もそれを知っていた。ホイットニーは不満だった。早く高校を卒業したくてたまらなかった。

この時期、ホイットニーはTVコマーシャル「ステーキ&エール」のCMソングを歌っており、16歳とは思えない驚異的な表現力を発揮している。

1979年、シシーとホイットニーが日本から帰国した頃から、ジョンとシシーは更に激しく口論をするようになる。そして二人の不仲にゲイリー、マイケル、ホイットニーの全員が影響を受けていた。

ゲイリーは少し前からよくない連中とつるみはじめ、ドラッグを使用し始めていた。ゲイリーはバスケットと歌の才能に恵まれていたが気が弱く、周囲から好かれようとするところがあった。バスケットボールの奨学生として大学に進み、その後もNBAデンバー・ナゲッツのプレーヤーとしてドラフトされたものの、すでに深刻化していたドラッグの使用が影響し、周囲の失望の中1シーズンでバスケットボール選手としてのキャリアが終わってしまう。

この時期に一番影響を受けたのはマイケルだった。家族を愛するマイケルはどちらの側につくこともできず、両親の間で心が引き裂かれていた。マイケルもこの時期にドラッグを経験し、自らもディラーまがいのことを始める。マイケルを通じてホイットニーもドラッグを経験。後にホイットニーは「14歳の頃に初めてコカインを経験した」と友人に告白している。

ホイットニーは急に成績が落ち始め、時々学校を時々サボるようになった。制服を着て家を出るが、カバンには私服が入っている。学校の下にあるドーナツ屋で着替え、そこで1日の授業が終わるまで時間を潰すのだ。そして「一番美味しいストロベリーシェイクの作り方」などと言ったくだらないネタでこれまた暇な店員達と論議を交わす。

家で毎日繰り広げられる口論にホイットニーは耐えられなかった。ああ、ここにゲイリーとマイケルがいてくれたら。だがゲイリーは既にシカゴの大学におり、マイケルはカンザスの短期大学に入学し家を出たばかりだ。冷え切ったこの家に、そして両親の間にホイットニーはひとり残されたのである。

80年代後半のホイットニーとロビン


2: ロビン・クロフォードの登場



学校でも親友に恵まれず、家でも両親の不和に悩んでいたこの時期に、ホイットニーは重要な人物に出会っている。それがロビン・クロフォードである。17歳の誕生日が近づいた夏休み、ホイットニーはモデル業以外にも何かバイトを見つけるように母親から命令されていた。

ホイットニーは地元イーストオレンジで開催される子供のサマーキャンプ・カウンセラーの仕事に応募した。その時受付をしていたのが19歳になったばかりのロビンだった。ロビンはマンモス大学のバスケットのスター選手で、親しいコーチの紹介で夏の間のバイトをしていた。ホイットニーはロビンの自立したところや、考えたことを即行動する決断力に惹かれた。二人は急速に仲良くなった。

ある時、ロビンがホイットニーの家に迎えにいくと、ホイットニーが膝から下が広がったジーンズ(パンタロン風)を穿いて現れた。それを見てロビンは爆笑しそうになった。だが必死に堪えてホイットニーをショッピングセンターへ連れていく。

ロビンはホイットニーにリーバイスとギャップのスリムジーンズを勧める。ホイットニーはこのカジュアルさと履き心地が大いに気に入った。この時以降スリムジーンズがホイットニーの定番スタイルの一つとなる。

ロビンはホイットニーがタバコをよく吸うことは知っていたが、マリファナをポケットから出した時にはやはり少し驚いた。ホイットニーがそういったタイプには見えなかったからである。

ロビンとホイットニーはこの夏の間ずっと一緒に過ごした。ホイットニーはロビンのバスケットボールの試合に顔を出し、ロビンはホイットニーが歌う礼拝に参加した。時間があると二人は家を飛び出してビーチへ行った。公園でピクニックをしたり、テニスをした。これまで孤独だったホイットニーにやっと素敵な夏が来た。

この頃ホイットニーはとにかく音楽に集中していた。スタジオ、母親との練習、クワイアのリハーサル、音楽に関係したこととなれば何かの途中でも中断し飛び出していった。そしてホイットニーは時間に決して遅れることがなかった。

家族が留守のある日、ホイットニーは「うちにおいで」とロビンを自分の家に呼ぶ。ホイットニーの部屋は酷く散らかっていた。制服やジーンズ、鞄、教科書、レコード、とにかく色々なものが部屋中に積み重なっていた。ロビンはホイットニーのだらしなさに呆れた。

二人が落ち着くと、どこかでカリカリという音がした。二人はギョッとし、恐る恐るその音の元を探った。それはホイットニーがカバンに残したポテトチップスをネズミが齧る音だった。ひとしきり笑った後、ふたりの目が合った。そして蜂蜜のように温かく(とロビンの本にある)長いキスをした。こうして二人は肉体関係を持つ。

ふたりの関係を言葉で表現するのは難しかった。恋人、友人であり、共犯者でありチームといえた。ロビンはホイットニーの夢を理解し励ました。ホイットニーは恋に落ちたというよりは、お互いをありのままに受け入れられるソウルメートに出会ったのだった。

ある日、ホイットニーはリハーサル中、ピアノ室にロビンを呼んだ。そして「隣に座って。ロビンの為に歌ってあげる」といいピアノを弾きながらロバータ・フラックの「The First Time I Saw Your Face」を歌った。そして初めて会った時、ロビンの顔を美しいと思ったのだと告白した。

Photo: Bette Marshall


3: 父親ジョンが家を去る



ホイットニーとロビンの間の絆は日に日に強くなり、二人はお互いの全てをシェアするようになった。だがシシーはロビンが気に入らなかった。シシーにはロビンが娘に悪い影響を与えるという強い思い込みがあった。その思い込みをシシーは直感と呼んだ。

娘にそれを度々伝えもしたが、ホイットニーは素知らぬ顔だった。自分は妻帯者の牧師と寝ているくせに、これ以上の悪影響があるかしら。ホイットニーはプライベートをシシーに話さなくなっていた。一方、誰より頼りになったのはロビンだった。

その晩のジョンとシシーの口論はこれまでで一番激しいものだった。思いやることを捨て、相手を叩きのめすための醜い戦いだった。口論の最中何度か「いいかシシー。俺はあのドアを出て2度と帰らないぞ」とジョンが喚く。シシーが何事かを叫び返す。

二人の争いが一層激しくなった時、ジョンが再び叫んだ。「いいのかシシー。俺はあのドアを出たら二度と帰らないんだぞ」その時ホイットニーが泣きながら叫んだ。「ダディ!もし出ていくのなら、黙って出ていって!」

ジョンは呆気に取られて、涙だらけの娘を見た。するとホイットニーは繰り返した。「お願いだから喧嘩をするのはやめて!黙って出て行って!」

ジョンは「わかった」とだけ残してキッチンを出て行った。そして数日後、本当に家を出て行った。ホイットニーは深く傷ついた。そもそもホイットニーは父親っ子である。父親に出ていって欲しいなど考えたことは一度もない。だが両親どちらも愛しているから、喧嘩をやめてほしい。その勢いで出た言葉だった。ホイットニーは泣いた。

一方ジョンの中には自分の味方をしないホイットニーに対して激しい怒りがあった。あれは俺が育て娘なんだ。それなのに俺に出て行けと言いやがった。ジョンはその時に感じた怒りを忘れなかった。

Photo: Bette Marshall


4: ホイットニーも家を出る



父親が出て行った後、母親がニューホープ・バプテスト教会の牧師と関係を持ち始めた。キッチンやリビングルームで下着姿の牧師がウロウロしていることがあった。そればかりでなく母親は牧師とその息子とのダブルデートに娘を誘った。

これはホイットニーの理解を完全に超えるものだった。母親をシンガーとして尊敬していたが、これはあまりに節度がない。牧師にも家族がおり、ホイットニーは日曜日にその全員に顔をあわせなければならない。教会のメンバーの間でも既に噂が立ち始めていた。

ホイットニーは深く失望していた。教会で起きている全てが偽善に見え始めた。この矛盾について考えたくなかった。もうこの家にはいられない。ホイットニーは家を出てロビンと一緒に住むことを決意した。

ホイットニーは家を出る理由をシシーに話さなかった。シシーは娘をなじり、その理由を聞き出そうとしたが、ホイットニーは決して口を割らなかった。なんとか引き留めようとしたがホイットニーの決心は変わらなかった。

ホイットニーは実家から車で20分ほどのウッドブリッジというエリアに2ベッドルームに、ロビンと引っ越した。シシーはホイットニーが家を出たことに腹を立てていたが、ロビンと同棲しはじめたことは更に不愉快だった。そしてこの時期、一度も二人の住まいを訪ねなかった。ホイットニーも母親を一度も招かなかった。

ホイットニーはあまりに母親が恋しくなり時々泣いた。そして受話器を取り上げることがあった。だが番号が押されることはなく、受話器は下ろされた。

家を出た後もホイットニーとシシーはスタジオやクラブで一緒に仕事を続け、デビューに向けての準備を続けた。父親と母親は別居していたが、二人は以前のようにホイットニーのために協力しあった。1981年に二人はテラ・プロダクションという名前のエージェンシーを雇い、遂にホイットニーのデビューのための準備が本格化していく。

出典・参考記事:
”Remembering Whitney: My Story of Love, Loss, and the Night Music Stopped” by Cissy Houston

” A Song For You: My Life with Whitney Houston”
by Robyn Crawford

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