作曲者スティーブン·シュワルツが語るホイットニー·ヒューストン『ホエン·ユー·ビリーヴ』収録秘話

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when you believe Whitney Mariah


1998年にリリースされたホイットニー・ヒューストンとマライア・キャリーの世紀のデュエット『ホエン・ユー・ビリーヴ』。映画『プリンス・オブ・エジプト』の主題歌として、アルバム『マイ・ラブ・イズ・ユア・ラブ』に先行してリリースされた。最近『The Messenger  』の記事の中で、この曲の作家スティーブン・シュワルツは『正直に言うと、僕は実はマライアのレコーディングには全然携わっていないんだ』振り返った。

彼の記憶によるとマライアは自身のツアースケジュールの関係で、ベイビーフェイスと共にスペインで歌入れをしたという。『マライアのトラックに合わせて歌うのがホイットニーの仕事だった。スタジオに彼女がきて、(マライアのボーカルに合わせて)歌っていったんだ。』

シュワルツは続ける。『彼女には感嘆したよ。まずは仕事に対して前向きな彼女の姿勢。頼まれたことならとりあえずやってみようという姿勢が素晴らしかったね。そして、マライアのボーカルに『完璧』なハーモニーをのせることができる能力。マライアは曲の中でアドリブなどのちょっとしたトリックを使うだろう?そこにハーモニーを乗せることができるシンガーなんてホイットニー・ヒューストンしかいないじゃないか。そして彼女はそれを難なくやってみせたのさ。彼女のプロフェッショナリズムや仕事中の態度、そして彼女の気立ての良さはとても強く印象に残った。僕はそれを決して忘れない。』

ホイットニーはスタジオでの自分の役割を完璧に理解していた。シュワルツやベイビーフェイスと協力しながらホイットニーは必要な箇所にハーモニーやアドリブでゴスペル調のフレイバーを与えたのである。

1998年にホイットニーとマライアがオプラ・ウィンフリー・ショウに出演した際、ホイットニーはレコーディング・プロセスについてこう語っている。

『この曲のボーカル入れの時、マライアの喉が疲れて(ツアーが理由?)歌えない状態だったの。声には休養が必要な時があるのよ。(笑)で、とりあえず私は、ベイビーフェイスとスタジオ入りして自分のパートを終えたの。そのあとマライアがボーカルを入れて、後半はお互いにこの箇所はどう歌うか、やりとりしながら出来上がった感じよ』

つまりシュワルツが記憶しているホイットニーとのボーカル入れは、ホイットニーにとっては2度目のもの、その後マライア、ベイビーフェイスとの(ホイットニーにとっては3度目)最後のセッションの様子がこちら。(マライアのバージョン違いの歌が聴ける)



第71回アカデミー賞裏話ー見過ごされたベイビーフェイスの名前

この曲はシングルとして1998年11月2日にリリースされた。世紀のデュエットと称されたわりに当時人々の反応は鈍く、ビルボードのポップチャートで最高15位登場という落胆の結果(アメリカ外のチャートは概ね好調)だったが、第71回アカデミー賞で『ベスト・オリジナル・ソング賞」にノミネートされる。

『ホエン・ユー・ビリーヴ』には2つのバージョンがある。映画の中でミシェル・ファイファーとサリー・ドロスキーによって歌われた、子供達のクワイアをフューチャーしたバージョン。そしてベイビーフェイスが追加のブリッジ(They don’t always happen when you ask〜)を加え、大人のゴスペル・クワイアと仕上げたホイットニーとマライアのデュエット・バージョンである。

ミシェル・ファイファーとサリー・ドロスキーによるWhen You Belive


アカデミーのノミネーションはホイットニー達のバージョンではなく、挿入歌のバージョンに対してであったため、シュワルツは作曲者のリストからベイビーフェイスの名前を除外していた。ベイビーフェイスが関わったのはホイットニー達のバージョンのブリッジ部分のみで、オリジナルの作曲に携わっていなかったからである。

だが、アカデミー賞のリハーサル中、ホイットニーとマライアはオリジナルのバージョン(ブリッジなしのバージョン)で歌ってくれ、というプロデューサーからのリクエストを拒否する。そもそもデュエットの構造がオリジナルと全然違う上、二人の声が一番綺麗にハモるのも、曲にダイナミックさをもたらしているのもベイビーフェイスによるこの優れたブリッジだった。オリジナルが必要なら、プロデューサーはミシェルとサリーを呼ぶべきだったのだ。

困窮したプロデューサーは妥協し、二つのバージョンをミックスしたブリッジありのアレンジを提案する。(結局ベイビーフェイスのバージョンとほとんど変わりがなかった)ミュージシャン達は新しいアレンジに直ちになれなければならなかった。アカデミー賞でのパフォーマンスには成人のゴスペル・クワイアも配されている。これもベイビーフェイスによるアレンジメントがベースとなっている。

この曲は見事、第71回アカデミー賞で『ベスト・オリジナル・ソング賞」を受賞する。シュワルツのみが受賞者だった。彼は授賞式を欠席しており、ジェニファー・ロペスにより、『アカデミーに感謝する』というコメントのみが読み上げられた。そこにはベイビーフェイス、ホイットニーやマライアの名前もなかった。

人々(マライアを含め)が受賞に関して祝辞を贈る中、ホイットニーは納得がいかなかった。関係者の受賞に拍手を送らないホイットニーはこれが最初で最後である。彼女の思いは厳し目の表情に表れている。自分のことは構わない。だがベイビーフェイスの扱われ方は許せなかった。皆が認識している『ホエン・ユー・ビリーヴ』はマライアと自分によるもので、ミシェルとサリーのバージョンではない。大衆がこの曲に注目したのはマライアと自分がこの曲に参加したからである。ホイットニーはそれを知っていた。だからこそ自分達がパフォーマーとして招かれたのではなかったか?

曲の知名度を上げたのはベイビーフェイスのプロデュースしたバージョンで、結局アカデミー賞のパフォーマンスにも使われた。なのに彼はクレジットすらもらえないという。ならなぜ、私とマライアがパフォーマンスを依頼されたのか?アカデミーはシュワルツとベイビーフェイスの両方に賞を渡すべきだわ。ホイットニーは苛立った。それにベイビーフェイスの貢献に対して一言の言明もないなんて。結局自分達は話題作りに使われただけなのだ。

『ああ。また(白人に)持っていかれたんだわ。結局アカデミー賞もこのレベルなのね。』そしてこの経験がホイットニーのアカデミー賞に対する印象を苦いものにした。

こうした不愉快な経験は初めてではない。母親のシシーは様々な差別の下敷きになってきた。オールウェイズ・ラブ・ユーだって、ほぼ彼女のバンド・リーダー、リッキー・マイナーがアレンジしたものだ。だがこの曲のプロデューサーといえばデビッド・フォスターの名前が出る。

だがデビットが後で加えたオーケストレーションはことごとくクライブ・デイビスによって不必要と却下され、最終バージョンはほぼリッキーのオリジナルに留まった。だがクライブもこの曲のプロデューサーはデイビッド・フォスターなのだと言う。その方がメディアへの響きが良いからである。デイビッドもシャアシャアとアレンジャー顔でインタビューに応じている。その不公平さについて問えば、それが上手なマーケティングというものだと説明される。

ホイットニーが音楽業界で横行するこうした誠実さの欠如に嫌気がさしていた。彼女にとってこれは些細なことではなかった。この経験はホイットニーのハリウッドやアカデミー賞のあり方に対して更に不信感を高める結果となった。


そして第71回アカデミー賞でのパフォーマンス。ホイットニーが聞かせるブリッジ(2分14秒) はパワフルで、まるで迸り出るかのよう。このパートがどれだけ重要か、人々に証明しているような歌いっぷりで、クライマックスでは、彼女のボーカルが天国の扉を開ける瞬間を目撃できる。やや緊張気味のマライアを完全に圧倒。

ホイットニーは2001年のアカデミー賞式典にも出演し、作曲者バート・バカラックの名曲メドレーの一部として『オーバー・ザ・レインボウ』を歌う予定であった。だがリハーサル中にクビにされている。クビになったのはホイットニーがリハーサル中に不可解な行動を見せた(ハイだった)からだが、後に2002年にダイアン・ソイヤーとのインタビュー中、この際のことについて『歌いたいとも思わなかったし』と太々しく答えている。天下のアカデミーを軽視したかにみえる発言だが、その背後にはこんな不信感があったのである。


参考記事:https://themessenger.com/entertainment/the-story-behind-whitney-houston-mariah-carey-when-you-believe