実現しなかったジョージ・マイケルとのレコーディングとロビン・クロフォードとの決別
2000年はホイットニーの人生の中でも特に波乱に満ちた一年だった。1月にはハワイの空港係員がホイットニーのバッグの中にマリファナの袋を発見。足止めを喰らうものの、ホイットニーは飛行機に乗り込み、警察の到着前に飛行機は離陸。逮捕の危機は免れたが、そこで受難は終わらなかった。
2月23日第42回グラミー賞ではIt’s Not Right But It’s Okayが「最優秀女性R & Bボーカル・パフォーマンス」を受賞。間も無く3月6日に予定されていたクライブ・デイビスのロックン・ロール殿堂入り式典への出演をドタキャンし人々の話題となる。
続く3月26日。第45回アカデミー賞では作曲家バート・バカラックへのトリビュートで「オーヴァー・ザ・レインボウ」を歌う予定であったが、リハーサル中にバカラック本人にクビにされる失態。そしてこの時期ホイットニーを長年支えてきたロビン・クロフォードが彼女の元を去る。ロビンの著書「A Song For You 」にはその時期の混乱が描かれている。
1998年リリースされたアルバム「MY LOVE IS YOUR LOVE」に収録されているIf I Told You Thatはマイケル・ジャクソンをデュエット・パートナーとして想定して作られた曲である。マイケルとのデュエットは実現しなかったものの、「ザ・グレイテスト・ヒッツ」(2000年にリリース)用にクライブ・デイビスは改めてジョージ・マイケルとの共演を提案する。
ホイットニーはその提案を承諾しレコーディングの手配がなされた。ジョージは火曜日にロスアンゼルスのスタジオに到着、ボーカル入れが予定されていた。
だが火曜日になってもホテルに滞在しているホイットニーに連絡が取れない。電話を取るのはいつもボビーだった。シルビアがホテルの部屋を覗いてもボビーもホイットニーもベッドルームから出てこない。案の定ボビーからロビンの元に連絡が入る。ホイットニーがスタジオ入りできないというのだ。
ジョージは木曜日の夜までロスに滞在する。木曜日の夕方のレコーディングならどう?とロビンが尋ねるとボビーの受話器越しにホイットニーが承諾するのが聞こえるのだった。
だが木曜日の夕方、またしてもホイットニーはスタジオに現れなかった。ホテルに連絡を入れてもなしのつぶてである。ロビンはクライヴに電話で事情を説明する。クライブはロビンに黒いドレスシャツを購入して、お詫びとしてマイケルに渡してほしいと頼む。
ニーマン・マーカスで黒のシャツを調達したロビンはスタジオで待機していたマイケルにホイットニーの不在を詫び、シャツを渡した。ジョージはシャツを大いに気に入り、謝辞を言った後スタジオを後にした。
その後ロビンとホイットニーが顔を合わせたのは3月4日、第14回ソウルトレイン・アワードの当日だった。ホイットニーは「エンターテイナー・オブ・ザ・イヤー賞」をメアリー・J・ブライジに授与することになっておりトレイラーでメイク中だった。トレイラーの中にはボビーとアシスタントのシルビア、ヘアメイクとスタイリストがいた。
「ロビン。どうしたの」とホイットニーがロビンに尋ねる。
「一応落ち着いた。ジョージはもうイギリスへ戻ったよ。(ジョージとの)レコーディングの件なら片付けておいたし。」
ホイットニーの名前で渡したお詫びのシャツをマイケルは気に入った、とロビンが口にした途端、これまで話を聞いていたボビー・ブラウンが突然喚き始めた。
「俺のワイフの名前で男にモノを送るなんて、貴様一体何考えてるんだ!?
気でも狂ったのかよ!?』
そして追い打ちをかけるようにホイットニーがこう続けた。
「お詫びって一体何のことよ?」
何の影響だか知らないが、ホイットニーもボビーも完全に正気を失っている。やるべきことはこれまで全てやってきたが、もうできることは何も残っていなかった。その時初めてロビンは悟った。ホイットニーを守るどころではなく、考えなければいけないことは自分を守ることだった。喚き続けるボビーを無視しながらロビンはホイットニーの目を真っ直ぐ見つめて続けた。
「ニッピー、いい加減疲れたよ。こっちは仕事をしているだけなのに。この男に私に対してこんな口の聞き方をさせて平気なの?冗談じゃない、辞めるわ。」
ロビンはトレーラーから飛び出していった。ボビーは一人で何か喚き続けていた。だがホイットニーは振り返りもせずに、吐き捨てるように言った。「ロビンはどこにも行きやしないわ!」」ロビンが去った後、ボビーはホイットニーに対する心理的なコントロールを更に強めていった。
ロビンはすぐにホイットニーの元を離れたわけではなかったようだ。その後に起きたアカデミー賞のリハーサルでホイットニーがクビになる瞬間を目撃している。
その後数回ロビンはホイットニーの個人回線に電話し、二人での会話を持とうと試みている。だがいつも電話を取るのはボビーだった。ロビンはホイットニーとプライベートで話させてくれと頼む。折り返しの電話を入れたホイットニーは言った。「いつか、そのうちにね」
数週間後、マイケルの妻(及びニッピー・インク従業員)ドナ・ヒューストンからロビンに電話が入った。「ホイットニーが(ロビンの)辞任を受け入れるって言っているわ。」
数時間後ロビンはニッピー・インクのオフィスにいた。辞任状に何を書いたら良いのか苦しんだ。これは一体ホイットニーに向けて書くものなのか、それともにニッピー・インク向けに書くものなのか?ホイットニーの元を去る決断はあったが、自分からホイットニーを見放すことになるとは想像もしていなかった。
これまでの20年間、ホイットニーとロビンは恋人、友人、共犯者、同僚、家族、その全てだった。お互いを励ましながら、幾つもの難局を二人ででくぐり抜けてきた。それがこうして呆気なく終わる。数えきれないほどの感情が一挙にロビンに押し寄せた。
ロビンの向いにドナが座っていたが、その表情や言葉にロビンへの同情は一才見られなかった。様々な人間がホイットニーを利用する中、全てを冷静に観察しホイットニーを守ろうとするロビンは皆にとって都合の悪い存在だった。
辞任状を提出した晩、ホイットニーからロビンの元に電話が入った。
「ロビン、本当に辞めるのね?」
「ニッピー。一度会って話がしたかった。なぜ自分が辞めたのか、
一体ニッピーが何を考えているのか、直接聞きたかった」
「いつか、そのうちにね」ホイットニーは言った。
残り一学期というところで大学を退学、その後ホイットニーを支え続けたロビンにはキャリアと呼べるものが何もなかった。40歳になって次の人生の道を見つけなければならなくなったロビン。友人を伝ってロスアンゼルスに引っ越した彼女は時々ホイットニーを思って泣いた。
遠く離れたロビンの元に時々、ホイットニーのアシスタント、シルビアから様子を気遣う電話が入った。新しい生活は上手くいっているか、足りないものはないか気遣う内容だった。だがそう言った電話のいくつかはロビンが恋しくなったホイットニーがかけさせたものだった。
ロビンがいない心細さと後悔がホイットニーを取り巻いていた。ロビンは決して自分の元を去らないと思い込んでいた。愚かさと傲慢が呼んだ結果だった。受話器から漏れる遠い声を聴いて、ホイットニーは床に手をついて泣いた。
参考:”A Song For You: My Life with Whitney Houston”by Robyn Crawford