シンガー、ミキ・ハワードが語るホイットニーの若すぎた死の理由
スモーキーなボーカルで知られ、80年代、90年代に「Come Share My Love」や「Baby Be Mine」をはじめとする一連のヒットを飛ばしたR & Bシンガー、ミキ・ハワード。
ホイットニーと親交のあった彼女が語る、ホイットニーの早すぎた死について。
インタビュアー、クインシー・トーマス(ホイットニーの大ファン)によるこのインタビューで、ミキ・ハワードはホイットニーの抱えた苦悩について深く推察をしており、ファン達の間では「リアルなインタビュー」と賞賛されている内容。彼女の話からもわかるように、ホイットニーには沢山の傷があった。
Miki Howard Talks About Whitney Houston’s Death
Quincie Thomas (Studio Q) 3/19/2012
Translation by HRS Happyman
Quincie : マイケル・ジャクソンやホイットニー•ヒューストン、
こういった偉大な才能が次々となくなっているけれど、
そのことについてあなたはどう感じているの?
特にホイットニーとあなたは親しかったわよね?
Miki: (ホイットニーの死を知った時)
私は飛行機に乗っていたのだけど、
クレイジーな経験だったわ。
とにかく私、理由も見つからないのに、
その時すごく感情的になって、涙が止まらなくなったんだよ。
とにかく悲しくてたまらなくて、
後から思うと、ホイットニー本人が私に、
この世を去ったって告げに来たんだろうね。
ホントに顎からポタポタ、涙がしたたり落ちるくらいで、
もしかしたら更年期かホルモンのせいかな(笑)
なんて考えていたんだよ。
そこにマネージャーのディオンがやって来て、
私の額にキスしたの。
そんなこと彼は普段わたしにしないからさ、
「どうしたの、あんた?」って聞いたのよ、
涙が止まらず、顔中マスカラが滲んで
ぐちゃぐちゃの状態で(笑)
そうしたら彼が言うの、
「ニュース聞いたんだね」
「何のニュース?」と聞き返したら、
「ホイットニーが亡くなったんだよ」
詳細を聞く前から泣き崩れてしまって、
本当に私、あの時ひどく感情的になってしまったんだけどね。
しばらくしてから私、ピンと来たんだよ。
これを考えると、気分が重いんだけど..
ホイットニーは疲れきっていた、ってこと。

考えてもごらんよ、
自分のことを理解してくれる人が周りにいないんだよ。
誰も経験したことのないレベルの成功や人気なんて
あったって、一体それをどうしたらいいのか、
誰にもわかるわけがないんだ。
彼女が亡くなってから、
人々も態度も変えたかもしれないけど、
以前は彼女が『白人に魂を売った』だのと決めつけてさ。
ホイットニーは自分の黒人コミュニティーに
拒絶されたと感じたんだよ。
間違いなくそれが、ホイットニーが今、
この世にいない理由の一部だと思うよ。
「私はニューアークの出身だ」
「本当の私はこうだ」
彼女はことあるたびに、
自分がブラック・コミュニティーの一部だって、
一生懸命強調してたよね。
彼女は黒人として、自分のカルチャーに対して
感謝の気持ちがあったのに、
黒人の社会はホイットニーを認めなかったんだ。
私の言う意味、わかる?
やれ「ホイットニーは白人かぶれ」だの、
「ポップすぎる」だの、
当時は誰もがそんな風に
ホイットニーについて話していたけど、
考えてもごらん。
ホイットニーは、アリシア・キーズや
ビヨンセのような自分の後に続く、
沢山の女性アーティストのために
道を切り開いたんだよ。
それまでは女性アーティストが
「自分自身に正直にいる」だの、
ビヨンセみたいにお尻出してダンスするなんて、
ありえない話だったんだよ。
黒人シンガーはブルース・シンガーと思われていた時代から、
白人優先の社会の中、なんとか黒人達は
自分たちの優れたイメージを外側に伝えたい、
世の中に認められたい、って頑張ってきた。
しかも自分達のコミュニティーだけじゃなく、
他の人種にも良さが理解してもらえるなんて、
黒人の文化にとって、ホントで大きな出来事だったんだよ。
その大きな役を遂にホイットニーが果たして、
やっと私達は(文化の)壁を壊すことができたんだ。
後に続くアーティストはそこから恩恵を受けるかもしれないけど、
先頭を切る者は、いつだって厳しい目に会うんだ。
ホイットニー自身もそれがどんなに厳しいことか、
分かってなかったんじゃないかな。
もし私が彼女の立場にいたら、年がら年中疲れてて、
「この部屋から出て行け!」なんて
周りに怒鳴り散らしているかもしれないね(笑)。