元アシスタント、シルビアが語るホイットニー「人生で出会った中で誰より親切な人間」

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|2020年にロビン・クロフォードが著書「A Song For You」を出版した際、ポロモーションに参加した意外な人物がいる。それがシルビア・ヴェジャー(Silvia Vejar)である。シルビアは18年に渡りパーソナル・アシスタントとしてホイットニーの面倒を見ただけでなく、その間に起きた出来事を全て目撃した女性だ。

1986年、ロビンはホイットニーが不在中に家と猫の面倒を見てくれる人間を探していた。そんな時に弁護士のジーン・ハーベイに紹介されたのがシルビアだった。エルサルバトルの出身シルビアは17歳の時にで小柄でぽっちゃりとしており、優しい目と大きな笑顔が印象的だった。英語には強い訛りがあり彼女が「マイアミ」と発音すると、なぜか「パジャマ」と聞こえるのだった。だが理解力はあり、ネイルやペディキュア、マッサージなどの技術を持っていた。

ロビンがシルビアを初めてホイットニーに紹介した時のことである。「ハイ!ホイットニーよ」とノーメイクのホイットニーが手を差し出すと、小柄なシルビアはこれから自分のボスになる裏若いホイットニーをマジマジと見上げた。そして強い訛りでこう言った。「あれえ、あなたそんなに若くってぇ」そしてクスクスと笑った。ロビンとホイットニーもシルビアの反応に笑い出してしまった。

ホイットニーはシルビアの素朴さと人柄が一発で気に入った。ホイットニーは21歳、シルビアは23歳だった。

ホイットニーは極寒の冬にも関わらず、シルビアが薄手のコートしか着ていないことに気づいた。シングルマザーで貧しかったシルビアは冬用の厚手のコートを持っていなかったのである。ホイットニーはロビンにシルビアをショッピングモールへ連れて行き、シルビアと娘に必要な衣服を買い与えるように伝えたのだった。

ホイットニー、ロビンそしてシルビアは結束力のあるチームだった。ロビンがプロダクションを担当することになり、アシスタントのポジションを抜けるとシルビアが代わりにその役割を務めた。三人の間には信頼関係があった。そしてシルビアはホイットニーとロビンの隣に座り、世界中を旅した。ある時ホイットニーは言った。「私達引退したら一緒にどこかの島で暮らしましょう。私達皆、別々な家を買うけれど同じ島に住むの。どう、素敵でしょ?」

だがホイットニーの周囲、特にベイおばさん、ドナ・ヒューストン、そして母親シシーはシルビアが気に入らず、ことあるごとにつらく当たった。理由は単純である。シルビアが自分よりもホイットニーに近い立場にいることに嫉妬したのだ。

ホイットニーの食事の面倒を見ていたベイ叔母さんは作った料理を自分でホイットニーの元へ運びたがったが、ホイットニーは嫌がった。ベイ叔母さんは余計なことに首を突っ込み、それをシシーに報告するからであった。階下に降りてトレイを受け取る度、シルビアはベイおばさんから嫌味を言われる羽目になった。

あるツアー中、ホテルでシルビアがホイットニーの部屋にへ入っていくと、ホイットニーは不在でゲイリーとマイケルが二人でドラッグをしていた。シルビアは何も言わずに部屋の隅に座り何も言わずに二人をガン見し続けた。

するとゲイリーとマイケルは「お前がいるとせっかくのハイが台無しになるんだよな」と言って渋々立ち上がり出ていくのだった。

1992年、ホイットニーがボビー・ブラウンと結婚してからはシルビアの役目は更に難しいものになっていった。ドラッグ使用の悪化。ロビン、ホイットニー、ボビーの間の絶え間ない喧嘩。幼いボビ・クリスの面倒。ホイットニーの周囲はカオスそのものだった。そんな中シルビアは体を張ってボビーの暴力からホイットニーを守ったこともあった。

1997年、ホイットニーはボビ・クリスと共にボビーとのツアーに同行し、ドラッグ漬けの日々を送った時期がある。ツアーのクルー達はホイットニーの情けない姿を陰で笑った。一部始終を見たシルビアはツアーから帰宅後、ホイットニーの両親、ジョンとシシーに面談を申し入れ、ホイットニーのドラッグ使用について全てを打ち明けたことがある。5月の日本公演が迫っていた。

その際のヒューストン家の反応には首を傾げざるを得ない。シルビアはツアー参加を禁じられただけでなく一時的にアシスタントの立場を降ろされ、ホイットニーの家のとスタジオ掃除を命じられたのである。(因みにロビンも今回のツアーから外されていた。)不審に思ったシルビアはホイットニーに直接その理由を聞いた。するとホイットニーはこう答えたのである。

「もう決まったことだけど私が決めたんじゃないわ。ドナや私の両親、それに弁護士がシルビアは裏切裏者だから信じてはいけない、ツアーに参加させるべきじゃないっていうのよ。」

シルビアは仰天した。一体あの面談はなんだったのか。この返事を聞くだけでホイットニーがどんな人間たちに囲まれていたかがわかる。家族、両親と弁護士込みでこの有り様だ。

シルビアに何かを目撃されるとホイットニーに告げ口される可能性がある。背後では様々な足の引っ張り合いが起きており、それが一層彼女に対する冷たい態度につながった。誰かが彼女を「穴掘りネズミ」などと冗談で呼ぶと、周囲はそれを聞いて笑った。シルビアは何度もめげて辞めかけている。その度にロビンに懇願され留まるのだった。

時は進んで2004年9月、二人の間に決定的な事件が起きた。シルビアともう一人のスタッフ、ローズ・ハントにボビー・ブラウンが性的なハラスメントをしたのである。(局部を彼らに向かって露出したと言われる)この時点で既にロビンはホイットニーの元を去っていた。

シルビアは普段のようにボビーの行為を直接ホイットニーに報告した。するとホイットニーはなんとシルビアをクビにした。当時ホイットニーは質悪なドラッグ、クラックを使い始めており、常識的な判断力を失いつつあったと言える。コカイン同様、クラックをホイットニーの生活に持ち込んだのも兄のマイケルだった。

セクハラをボスに報告したらクビ。アメリカでは明らかな雇用法の違反である。流石に仰天したシルビアとローズはホイットニーとボビーに対して正式に訴訟を起こす。するとホイットニーと弁護士は雇用時に交わした秘密保持契約(Non-Disclosure Agreement)の不履行を理由にシルビアとローズを訴え返したのである。明らかな脅しだった。これがシルビアとホイットニーの最後である。

ホイットニーを訴えたシルビアは裏切り者だろうか?彼女の死後、ホイットニーの真の姿を聞き出そうとシルビアの元には様々な巨額のオファーが押し寄せた。ミリオン単位で金を作ることは容易かっただろう。だがシルビアはホイットニーのプライバシーについて一才口を割らないことを選んだのである。

2010年の最後の「Nothing But Love」ツアー中、ロンドンのコンサートでのことである。統率力に欠けたバックステージは完全なカオスと化していた。ステージに上がる前、ホイットニーは足の痛みを訴えた。だがそれに注意を払うものは誰もいなかった。ホイットニーは放ったらかしにされたのである。ホイットニーは疲れ果てていた。そして茫然と鏡の前に座っていた。

バックステージに居合わせたゴスペル歌手、キム・バレルは見かねてホイットニーの足元に跪き、オイルを手に取るとその足をマッサージし始めた。しばらくするとキムはホイットニーの頬に涙が伝っているのに気がついた。

「どうしたのホイットニー。なぜ泣いているの」
「(あなたが)私を愛してくれてるのがわかるから」

ホイットニーはやっとの事でそう言った。そして遠いシルビアを思わずにいられなかった。シルビアが居たら何も言わなくても彼女の足をマッサージし、声を失った状態でステージに上がらなければならない失意を理解し、その背中を優しく押しただろう。そんな彼女ももういない。ホイットニーは自分が追いやったものを考えて泣いた。

考えればエディー・マーフィーが結婚式の日に「ボビーと結婚してはダメだ」とホイットニーに電話をかけてきた時その受話器を取ったのも、ホテルの廊下でボビーがホイットニーの頭に受話器を叩きつける瞬間を目撃したのも、ホイットニーが遺言状にサインをした時の証人も全てシルビアであった。

そして父親の裏切りやボビーの仕打ちに打ちのめされたホイットニー、禁断症状で震えるホイットニーを毛布で包み、スープを飲ませ、その足をさすり続けたのもシルビアだった。

そしてホイットニーはシルビアのような忠実な存在を2度と得ることができなかった。

残念なことにホイットニーが亡くなった時、シルビアは告別式への参加を許されなかった。ホイットニーの「家族」が彼女の参列を拒んだからである。

事情がどうあれシルビアにはホイットニーに対する温かい言葉しか残っていない。

「ホイットニーは私が人生で出会った中で誰よりも親切な人間。あんな人に会ったことがない。いつも周りの人間のことを考えていた。目を閉じて彼女の全盛期の頃の歌声を思い出して。これだけは覚えていてほしい。彼女が歌うときはいつも自分の全て、本当に全てをファンに与えていたわ」

参考:
”A Song For You: My Life with Whitney Houston”
by Robyn Crawford

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