ホイットニー、全てをオプラに語る9月14日放映分(前半)

アメリカで最も有名なトーク番組の司会者、オプラ・ウィンフリー。
全米ネットワークで25年間に渡って放映された
『オプラ・ウィンフリー・ショー』で
数々の政治家やセレブをインタビューしてきた
超ベテランのオプラに
「私のキャリアで最もパワフルなインタビュー」と言わしめた
ホイットニー・ヒューストンのインタビュー。
2008年9月14日、15日の2日間に渡り放映された。
「アイ・ルック・トゥ・ユー」のリリース・プロモーションの一環であったが、
父親ジョンの死、友人マイケル・ジャクソンの死、
ボビーとの離婚とドラッグ依存について、
「全てを語ったインタビューと謳われた。」
彼女の死後発表されたロビンやシシーによる本を読むと、
ホイットニーが意図的に真実を明かさなかった点も見受けられる。
2008年9月14日に放映された
『オプラ・ウィンフリー・ショー』によるインタビューの前半。
ホイットニーが何故ボビーに恋に落ちたか、
何が彼女に離婚を決意させたのか、
何故、離婚に踏み切るまでに時間がかかったかを語っています。
Whitney Tells All (Oprah.com)
Translation by HRS Happyman
ホイットニー、7年の沈黙を破り
すべてを告白

世界中で1億4千万枚以上のアルバムを売ったホイットニー・ヒューストンは
音楽史上最も多くの賞を受賞した女性アーティストとして
知られています。
彼女の印象的な存在感がスクリーンを埋めた映画
「The Bodyguard」は世界中で4億ドル以上のセールスを記録。
同映画のサウンドトラックは
「音楽史上最も売れたサウンドトラック」となる大ヒット。
しかし未曾有の成功の背後に、
ホイットニーはボビー・ブラウンとの
14年間に及んだ波乱な結婚生活による苦悩、
そしてドラッグへの依存を隠してきました。
2002年に物議を醸したダイアン・ソイヤーとのインタビューの後、
ホイットニーはスポット・ライトから完全に姿を消してしまったのです。
2003年には、ホイットニーはボビーによる家庭内暴力を警察に通報、
彼女は再びメディアの注目の的に。
警察の報告によればホイットニーは頬にはあざがあり、
上唇に切り傷が残っていました。
それにもかかわらずホイットニーは夫のボビーの起訴を拒否。
ボビーは有罪判決を受けず、今日まで彼女への暴力を否定しています。
ホイットニーとボビーは、2005年にBravoのリアリティショー
「Being Bobby Brown」で再び公の目に現れます。
これまで沈黙を守ってきたホイットニー、
7年ぶりの最新アルバムI Look To Youをリリースを機に、
彼女はオプラに彼女の過去、現在、そして未来への希望について
全てを語りました。
ホイットニーが
スポットライトを離れた理由

オプラ:
何年も前になるけれど、
私のショーで初めてあなたに会った時、
あなたの声はまさに神様に祝福された『声』だわ、と思ったの。
7年前の前作アルバムのリリース以来、
あなたはリタイアして南の島で果物の屋台でもしようかと考えたんですって?
ホイットニー:
ええ。
娘と一緒に小さな島で
オーガニックの果物を育てたり、
シンプルな生活を送りたいと思ったの。
私はこれまでに散々世界中を廻ったわ。
やりたいことは全てやったと思っていたの。
神様がくれた贈り物のことは忘れていて、
考えもしなかった。
私の目の前で娘が成長して行く様子を目の当たりにして、
それを逃したくなかったの。
あの頃、私は心には大きな傷があって
「もう十分だ」と思ったわ。
お金もあるし、車もある。家もある。夫も子供も持った。
でもそのどれもが私に真の充実感をもたらすことはなかったわね。
しばらくの間はそれで幸せだったけど、
私は自分自身の喜びを、もう一度取り戻す必要があった。
自分の中に平和を必要としていたの。
オプラ:
ここにL.A.タイムズから素晴らしい引用があるわ。
『ヒューストンの凋落に多くのファンが感じた痛み、そして嫌悪感は、
彼女の個人的な苦痛によってもたらされたものでは無い。
神が授けた彼女の中にある宝物を、
彼女が不注意に扱ったことに対してである。』
あなたは他のどんなアーティストとも違う。
あなたはその声、まさに宝物を授かったのよ。
自分が選ばれた存在であることに、
どうして気付かなかったの?
ホイットニー:
まだティーンエイジャーの頃、
神様のために歌っていた時には
(自分が選ばれた存在であることに)
気づいていたわ。私は純粋だった。
私が「ホイットニー・ヒューストン」という存在になった途端に、
私の人生は自分のものでなくなり、
世界中の人々のためのものになってしまった。
私のプライバシーは失われ、私が誰と一緒にいるか、
誰と結婚したかが常に詮索される。フェアーじゃないって思ったわ。
私だって人やメディアに干渉されることなく、
夫と公園に行って、手をつないで歩きたかった。
私はただ普通の生活が送りたかったの。
オプラ:
興味深いわ。
私はずっと、人々が目にしたホイットニー・ヒューストンは
メディアによって作り上げたものである、と思っていたから。
あなたに素晴らしい声と才能が授けられているのは確かだけど、
それ以外のドレスや、ヘアスタイル、その最初のビデオ、
そのすべてのものはメディアによって作り上げられたものよね。
ホイットニー:
そう。
私はドレスアップするのもメイクアップも大好きだけど、
それはあくまでパフォーマンスであり、エンターテイメントの一部よ。
オプラ:
いつも完璧でいることを期待されていた?
ホイットニー:トゥーマッチ!
気が遠くなるほど度を超えた要求よね。
私はそこから抜け出したかった。
ホイットニーが
ボビー・ブラウンを愛した理由

オプラ:ボビーと結婚したのも、
そこから抜け出す方法の一つだったのかしら?
ホイットニー:[頷いて]
ある意味、彼は私を自分自身でいさせてくれた。
彼は一緒にいて楽しくて、情熱的で、
愛情があって、クレイジーだった。
私たちの間にはクレイジーな愛情があったのよ。
オプラ:
でも多くの人々はあなたはついて素晴らしい衣装を着て、
レッドカーペットを歩いている印象しかなかったのね。
(二人の関係は)あなたが始めたビジネス上の戦略的なものだったの?
ホイットニー:
プリンセスがバッド・ボーイと結婚(笑)
実際はそうじゃないわ。
私が出席したソウル・トレイン・アワードショーで、
ボビーが「My Prerogarive」を歌ったの。
彼は最高にイカしていたわ。
それに彼のダンスときたら!
オプラ:
最初に誰が興味を示したの?
ホイットニー:
ボビーが私に興味を持ったのよ。
オプラ:
まあ!彼は何て言ったの?
ホイットニー:
『もし僕はがデートに誘ったら、
君はOKって言うかい?』、で私は『ええ。(間をおいて)勿論。』
そしてその瞬間に、私達は意気投合したの。
まずは友達として付き合って、3年間デートして結婚。
二人で世界中を回ってやりたいことを全てやったわ。
オプラ:
一方、人々は
「プリンセスは一体この男と何をしているのだろう?」
と考えて...
ホイットニー:
人は彼の持っているスイートな部分や優しさについて
知らないからよ。彼はとても静かな人間なの。
エンターテイナーとしてステージに立つときは、
彼は自分にしかできないことをするけど、
家では彼はまさに『父親』だったわ。
私は自分に関することは勿論私がコントロールを握っていたけど、
彼が口を開くときには、私は耳を傾けた。
私は他の誰かに私をコントロールして貰いたかったの。
だから新鮮な経験だったわ。
オプラ:
あなたにとってそれ(ボビーにコントロールを取らせること)が
新鮮だったのは、あなたは人生の他の部分は全て..
ホイットニー:
自分でコントロールを握っていたから。
オプラ:
2002年にあなたがダイアン・ソイヤーと行ったインタビューの中で
記憶に残っていることの一つ、
あなたは自分がもし中毒していることがあるとしたら、
それはメイキング・ラブ(セックス)だと答えて、
人々はショックを受けたのよ。
ホイットニー:
イエス。私達、沢山メイク・ラブしたわ。本当に沢山ね。
14年間に及ぶ
波乱を極めた二人の結婚生活

オプラ:
あなた達が上手くいかなくなり始めたのはいつ頃なの?
二人ともあまりに情熱的だったからなのかしら?
ホイットニー:
そうね、互いに情熱がありすぎると、
もちろん衝突することも起こりうるでしょ。
映画「ボディガード」がリリースされて、
1993年、1994年、1995年と私はずっと忙しかったの。
私はその時点ですごい勢いの追い風に乗っていて、
世界中を回っていたわ。
あのレコードが空前のヒットなったことに加え、
私はボビ・クリスティーナを出産したのよ。
私は自分のベイビーを抱えながら、
自分の愛する男性と一緒にいたの。
彼は自分のことを全て脇に置いて、
私のツアーに加わってくれたのよ。
「僕が付いて行くから、安心するな。精一杯やっておいで」って。
でも、自分の持っていないコントロールや名声を
女性が持っているのを見ると、男性の内側には何かが起こるのね。
特に彼が「特別な何か」を持っていない場合には。
オプラ:
彼はあなたに嫉妬した?
ホイットニー:
彼は私の答えが気に入らないかもしれないけど、
答えはイエスね。
オプラ:
だからあなたは彼の良いところを
大げさに強調して彼の劣等感を補おうとしていたの?
ホイットニー:
いつも彼に合わせて自分のレベルを
下げようとトライしていたわ。
『私はミス・ブラウンよ。ミス・ヒューストンと呼ばないで』
オプラ:
あなたは自分自身の光を彼のために暗くし始めたってことね?
ホイットニー:
勿論、そうしたわ。
オプラ:いまだに彼(ボビー)を喜ばせることがあなたの考えにあるかしら?
ホイットニー:
それは全く無いわ。
他にも私が口を割ったら彼が激怒するようなことが沢山あるけど、
あえてそれについては話さないわ。
彼は人々に「おまえは彼女に嫉妬しているんだ。
彼女の持つ名声とお金に嫉妬しているんだ」と言われるのが
本当に嫌だったの。すごく機嫌が悪くなったわ。
でもそんな風に、自分に何かが欠けているんじゃないかって
男が感じるのはおかしなことじゃなくて、至極当たり前のことなのよ。
酷評されたにもかかわらず、
高視聴率を獲得した
リアリティー・ショー
Being Bobby Brown

オプラ:
(リアリティショー)Being Bobby Brownへの参加を
同意したのはそれが理由?
ホイットニー:
そうよ。
私は自分が彼の妻であることを人々に知ってほしかったの。
オプラ:
あなたが同意書にサインした時、
一体どんなことになるかを知っていましたか?
ホイットニー:
知らなかったわ。
誓約書に署名した時は
自分が何にサインしているのかはわかっていたけれど、
それでも何がどうなるかはわからないものでしょ。
私は深く彼を愛していた。それ以外に興味がなかったの。
オプラ:
ボビーはあなたに、
「俺はこういうリアリティ・ショーをやるつもりなんだ。
家中がカメラだらけになるぜ」と説明したの?
ホイットニー:
違うわ。私にはどんなことになるか見当もつかなかったわ。
私は、「オッケー、私はあなたの妻よ。
ショーの為に私は一体何をすればいいの?」
って態度だったわね。
オプラ:
オンエアされたショーを見た?
ホイットニー:
勿論。
オプラ:
あなたはショウについてどう思いましたか?
ホイットニー:
どう考えたらいいのかしらね(苦笑)。
私は自分が彼の妻である、ということを
ショウを通じて言いたかったんだと思う。
自分だけが目立ってしまわないように。
それは難しいことだったけど。
オプラ:
じゃ、あなたはあのショウはボビーのために出演したのね。
ホイットニー:
そうよ。私があのショーに出たのは彼のためよ。
ボビーはどうやって妻である私なしで
リアリティ・ショウをやるというの(笑)
オプラ:多くの人に酷評されたショーだったけど、
批評家の一人はショーを電車の脱線事故に例えたわ。
あのショーは内容をあなたたちの間の問題を
(意図的に)強調して制作されたのかしら。
ホイットニー:
そうだと思うわ。確かね(笑)
オプラ:
多くの人々があのリアリティ・ショーを見て、
あなたのことや周りで起きていることを
更に心配し始めたと思うの。
あの頃、一体あなたには何が起きていたの?
ホイットニー:
幾つかのことが起きていたわ。
ボビーと別れなかった理由

オプラ:
あなたは幸せだったのかしら?
ホイットニー:
いいえ。結婚生活に私は満足していなかった。
彼のことを喜ばせようとして、
自分を見失って行ったんだと思うわ。
オプラ:
自分達の結婚を長続きしないだろうと言い切った世間の人達に、
それが間違いであることを証明しようとしたのかしら?
ホイットニー:
彼らが間違っていることを証明してみせる、
と決めたの。それは固く決心したわ。
でもそんな態度をしばらく続けていると、
『愛』の持つ本来の意味が失われてしまうのね。
つまることろ、私は声明を出そうとしていたわけ。
『あなたたちは決して勝てないわよ。
私たちは結婚していて、愛し合っている。
私たちはお互いに夢中なの。
私たちは家族を持ちたいと思っている。
そんな私たちを引き裂くようなことはさせないわ』
そこについては彼も私も同じだった。
彼も強く決心していたわ。私たちは愛の為に戦ったのよ。
でもそのうち物事はぐちゃぐちゃになって、
一体何をどうすればいいのか見失った感じになったの。
周りであまりにいろいろなことが起きていると、
そこからわざわざ表に出て行くことも面倒になるのよね。
——- 2008年9月14日 インタビューの後半へ続く———–