「歌手ホイットニー・ヒューストンが誕生するまで」パート3: シシーによる特訓開始

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Text & translation: HRS Happyman


1: 空のプールで自分の声に目覚める


ホイットニーが10歳の頃である。裏庭の水が抜かれた秋のプールには落ち葉が溜まっていた。一人で遊んでいたホイットニーはプールの底へ降りていき、枯れ葉を蹴飛ばしながら、何気なく「ジーザス・ラブズ・ミー」を口ずさんだ。

するとホイットニーの声はプールの壁に反響し、信じられないようなエコーとなって体を包んだ。ホイットニーはそれが自分の声だと信じられなかった。もう一度歌ってみた。ホイットニーは鳥肌が立つのを感じた。それまで地下室でレコードに合わせて歌っていたが、周りに誰もいない時、プールの底に降りて自分の声を実験するようになった。そして誰にも言わない秘密にした

ある時ホイットニーが歌っていると急に2階の窓が開き、母親のシシーが顔を覗かせた。知らないうちに帰宅していたのである。プールの底にいる娘を見るとからかうように言った。「ニッピー。お前、歌えるじゃない」

母親にそう言われ、ホイットニーは何故かドキッとした。そして急いで否定した。「歌えないわ」シシーは白い歯を見せた。「いえ、お前は歌えるよ」娘の声は未熟だったが、これまで聞いたことのない何かが備わっているようだった。シシーは窓の奥へ消えた。

普段あまり人を褒めないシシーが自分の声を褒めた。この時初めて、将来シンガーになるという考えがホイットニーの頭に宿ったのだった。

2: 歌手になることを宣言



ホイットニーは幼い頃、周囲に将来は小学校の先生か獣医になりたいと周囲に告げていた。そしてそれがシシーの記憶である。それがある日、台所に来たホイットニーが「ママ、私将来歌手になる」と宣言した時、シシーは手を止め娘の顔を覗き込まざるを得なかった。「歌手になりたいって、プロの歌手になりたいってこと?」

ホイットニーは「そう」と無邪気に答える。シシーの表情が変わった。「聖歌隊で歌うのだって歌手でしょ。でもこの業界で...プロとしてやっていくのはまた全く別な話なのよ」ホイットニーは混乱した。全く別な話?歌うことには変わりがないじゃないか。

一方、この質問に対して準備ができているようで、できていなかったのはシシーだった。シシーはスイート・インスピレーションを脱退した後もソロアーティストとしては商業的な成功を収められなかった。長年の経験により彼女の中には業界に対する不満と不信感が蓄積していた。

業界で既に確立した立場にいるとはいえシシーの中には燻りがあった。なぜ娘が業界に入るべきではないのか、シシーは理由を上手く説明できなかったのである。

またシシーはホイットニーに自分を守る能力が欠けていることを心配していた。この子ときたら素直すぎて、誰のことでも頭から信じてしまう。でもこの業界は人種差別が当たり前、酒やドラッグが横行し、金に汚い醜い人間どもでいっぱいの世界なんだ。

できれば娘にこの業界には入ってほしくない。シシーにしては珍しく回りくどいやり方で、しばらくの間娘がプロの歌手を目指すのをなんとか諦めさせようとした。どれだけ厳しい要求か、どれだけの犠牲を払わなければならない仕事か。だが何を言ってもホイットニーの決心は変わらなかった。

そしてある日、遂にシシーは折れた。「オーケー。でもやるからには正しいやり方でやらなければ意味がない。明日から毎日練習。口答えと言い訳は一切許さないよ」


シシーの中で何かが弾けたようだった。この子には確かに才能があるかもしれない。自分のベストを尽くして様子をみよう。その時ホイットニーは11歳だった。(注:シシーの本には12歳、ホイットニー自身はインタビューによって11歳と12歳と答えている場合あり)

3: シシーによる厳しい特訓の日々



遂にシシーは毎日マンツーマンでホイットニーへの特訓を始めた。シシーの要求レベルは非常に高かった。正しい呼吸法。言葉をはっきりと発音すること。メロディーを完全に理解すること。感情を注ぐこと。シシーも同時に娘にありったけを注ぎ込んだ。

ホイットニーは週3日のクワイア(合唱隊)のリハーサルにも参加した。シシーはクワイアの監督として厳しいことで有名だったが、特にホイットニーに対しては一層厳しかった。少しでももたつけばその場でゲキが飛び、皆の前でホイットニーを激しく責めたてた。そして何回もやり直しさせた。クワイアのメンバー達はそのナンセンスな厳しさに眉をひそめ、陰でヒソヒソ噂をした。そしてホイットニーに同情した。

教会のリハーサルからの帰宅中、車内で大口論になり「私やめる!」と叫んで車のドアを叩きつけてドアへ向かうホイットニー。そこに「やめるなんて初めの話になかったことじゃない?」と立ちはだかるシシー。

傍目にどう見えようが、シシーは真剣だった。これまでどれだけ沢山の才能あるシンガーが現れ、消えていったか。夢が叶うのはほんの一握りで、後は闇へ消えていく。それが現実だ。それを考えれば厳しくしてもし足りないくらいだ。これが乗り越えられないくらいなら、やめてしまえ。

「ママの言うことを聞いていると自分が上手く歌える日なんて、来ないんじゃないかって気になったわ」後にホイットニーは打ち明けている。だが彼女にはゴールがあった。シシーの厳しい要求と戦い、何度も叩きのめされながら、翌日の母親との練習にはさらなる決意で現れた。ホイットニーは自分の為に更なる向上の道を選んだのだった。

一方、シシーは娘の決意の固さと成長の速さに感心していた。この子の声にはこれまで聞いたことのない心地よい何かがある。その歌声はますます磨かれ、ホイットニーは自信を増していった。


4: ニューホープ・バプテスト教会で初めてのソロを歌う


数ヶ月に渡る集中トレーニングの後、ホイットニーに遂にソロを歌う日が来た。みずからが通うニューホープ・バプティスト教会である。その曲は「Guide Me O Thou Great Jehovah」だった。当日シシーは仕事で立ち会うことができなかった。

ホイットニーは気持ちを落ち着かせるため、参列者ではなくステージ正面にかけられた時計に目を向けた。教会中が息を呑んでその歌声を待った。ホイットニーは目を閉じて歌い始めた。マイクはなかった。

参列者達は瑞々しいホイットニーの声に感動した。シシーのホイットニーへの厳しい仕打ちを知る教会のメンバー達はその歌声の純粋さに打たれ、涙が抑えられなかった。彼女の声に宿る何かが神への扉を開けたかのようだった。気づけば教会全体が足を踏み鳴らし、神へ賛美を叫んでいた。

目を開けたホイットニーは教会の熱狂的な反応に気づいていたが、彼女の内側はとても静かだった。そして不思議な恍惚感に浸っていた。自分の歌で神様に繋がることができた実感があった。「やっぱり私は歌うために生まれてきたんだわ」

仕事先から電話で娘の初舞台の様子を尋ねるシシーに「教会の中を見渡して、涙していない人間は誰もいなかったよ」とジョンは笑いながら伝えたのだった。


5: バックグラウンド・シンガーとして
スタジオ・セッションに参加し始める


シシーは娘が12歳の頃から様々なセッションに連れていき始めた。今度はバックグラウンド・ボーカリストとしてである。二人はこれまで以上に時間をともに過ごすようになった。相変わらずホイットニーには親しい友達がいなかった。

マイクの使い方。急な変更や要求にどう対応するか。現場でどれだけクリエイティブなアイデアを出せるか。音楽プロダクションの現場でプロとして不可欠な知識ばかりだった。ホイットニーは全てを貪欲に吸収し、脅威的なスピードで歌の実力を身につけていった。

出典・参考記事:”Remembering Whitney: My Story of Love, Loss, and the Night Music Stopped” by Cissy Houston

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